<山宮様
こんにちは。1週間ぶりです。
わあ〜っ! 先日の書き込みなど、もう、はるか彼方ですねえ……。
ちょっと、緊急お知らせ事項があるので、Eメールを覗いてください。
*
昨日、光の感覚体験WS最終日でした。
会場にギャラリー白川の池田さんが下見に見えました。
山宮さんや「書生」さんがG白川に行った時のことなども
噂話に出て、なごやかな一時でした。
京都という土地柄にまったくうといので、WSの広報については、
ギャラリーにおまかせすることにしました。
*
京都でのWSについては、知りあいの大阪の照明機器会社が
器材サポートについてくれるので、東京よりもグレード・
アップできそうです。
*
今まで潜行していたいろいろな動きが、この1週間で、急速に具体化
し始めています。
メビウスの卵展は、宮澤賢治がらみで、岩手県でもう1つスタートする
可能性が強くなってきました。年度末まで未確定だけれどね。
<川村様
細馬夫妻の件、事実調査しました(しつこい?)。
結局、2人はメガ日記では知りあいだったけれども、
初めて、ナマ顔(?)を見たのは、メビウスの卵展96の
会場だったとのこと。
奥さんの方を会場にお連れした紹介者が実在します。
メビウスの卵展実行委員の1人で、
メディアアート業界では「ブラック・ドラえもん」「黒ドラ」などの
愛称(?)がある人物。
ウチのWSのメンバーであり、森脇裕之氏の紅白電飾幸子のお手伝をして
いる29歳、男性、です。
ここのBBSでは、岐阜のウエヤマさんがナマ顔をご存知のはずです。
http://member.nifty.ne.jp/tatsutoshi_kawamura/そうなんでございますわよ、マージョさまン。
やっぱりって、川村さん。好きですね〜。
私の資料によると、その系列は、グロッキーボヤッキー
トボッケーセコビッチコケマツコスイネンダサイネン
となっております。どことなく東欧風なのはやはりロシア
構成主義の影響でしょうか?その御先祖様は、大空はばたく
理想機械をでっち上げたタトリン辺りじゃないかと僕は
思うのです。第3インターナショナル記念塔がそうであった
ように、ボヤッキーの理想は、いつも夢で終わるのです。
そういやイマイチってのも居ましたね。
やっぱりみんなのメッセージがチャンポン的に錯綜してるのがいいね。
そこから混沌としたわけわからんけどおもろそうなものが出てくるし。
思うのだけどメーリングリスト(ML)とBBSの違いって,
前者は一つ一つの書き込みが何だか分断されているような
錯覚を受けたり,気軽に書けないところがある。
後者はそれこそボードに落書きするような感覚で
書き込めたり,その流れがけっして消されることなく,
時間軸に沿って続いていくところがいいなあ,なんて思います。
そんな良さを,ここのBBSでは実現している印象を受けるなあ。
だから,いまのままがいちばん良いと思います。
みんみん拝
http://member.nifty.ne.jp/tatsutoshi_kawamura/やっぱりヤッターマンの出演者だな。タイムボカンはグロッキーだ。
ブリキにたぬきに洗濯機、飛んでこいこい大魔人!
とういうセリフがヤッターマンの中であったような。(?)(あれ?)
アウフヘーベンってドイツ語?(謎)
>書生さーん
何故骨折したかというと、ヤッターマンがヤッターパンダとかに
つかまってるポーズを木を代用して真似したら、
崖から落ちた。(笑)そして下にレンガ・・・・。ちなみに
これを聞いた人は、私の恋人にはなれません。
何故かは聞かないでください。(笑)
>山宮さ〜ん
昔、民博の収蔵庫でバイトしてました。めちゃくちゃ
面白いです。収蔵品の整理とか調査なんだけど、全部
ひとつひとつデッサンして、傷をチェックするだよ。
私がやってた頃は、ずーーーーっと、わらじとだるまの棚で
わらじとだるまのプロになってしまいそうでした。(笑)
みなさん、民博にはくれぐれも、
だるまとわらじは寄贈しないで下さい。(笑)あと、蓑とかも。
http://member.nifty.ne.jp/tatsutoshi_kawamura/圓山の書生様
ボヤッキーは芸術家「気質」な人ということで、賛成に1票投じます。
よし、これから芸術家「気質」ではあるが、具体的に頭の上がらない人間のボスが
いて、作品が他者によって壊される(けなされる)作家を、ボヤッキーと呼ぶこと
にしよう。ウン、いいぞ。
……でも、ボヤッキーは確か「タイムボカン」の出演者だったのでは?
ところで、ヤッターマンでホントに骨折したとは?>山本さん
お金がなくても、メカ作りがひたすら好きなボヤッキーは真の芸術家だと思います。
手塚治虫は話がシリアスになりすぎると、ヒョウタンツギを登場させて、
「漫画」に止揚(止下?)させました。
あまりにも書き込みが多いと、一時はツリー式(テーマごとに分かれて書く
方法)に変えようかとも思ったのですが、今のままでもガヤガヤした感じが
出ていいんじゃないでしょうか?そのうち慣れるでしょう。無理に頑張って
前の人の返事を書こうとしないのがコツです。
最近バイト探してます。自分で作ったTシャツとか売って生きていけたら
いいんだけど、ちょっと無理めなのでとりあえず収入を安定させようと
思って。昔はずっと郵便局で単純労働をしていたので、今回は趣向を
変えて書生氏のように頭脳労働を探しているのですが、なかなか未経験
者を雇ってくれる所って無いもんですね。
とりあえず今は一件だけ見つけた時給800円のデザイン業を受ける為に
デッサンしてます(800円のくせに実技がある!)
なんか浪人生の頃を思い出してほろりと来ますな。
あの頃はデッサンなんてやってられるかと思ってたけど、こんな事に役に
立つなんて美術研究所に感謝。
皆さんは何か印象に残るアルバイトをした事がありますか?
僕の最初のバイト体験は高2の時の新聞配達だけど、暗いうちに自転車で
配達していると、一件奇妙な家があって、周りはみんな寝静まって真っ暗
なのに、その家の窓はいつもぼんやりと赤やオレンジの光がゆっくり点滅
していたのです。深く考えると怖いから詮索しなかったけど、あれは一体
何だったのだろう????
ヨーコ犬 = アウフヘーベン (深い意味無し)
ちょっと阪大のサーバーがメンテをやっていてネットが見れなかったのだけど,
その間に(文字通り三日か四日の間ですよ)
莫大な量の,しかも一つ一つ内容が豊富で濃い展開になってますね。ワクワク。
そこで思うんだけど,ほんの一週間前書き込んだものさえ,
何かしら遠い昔のような(例えば1ヶ月とかそういうスパン)
気がします。
BBSを眺めるのはほんとに面白いんだけど,
ふとした拍子に時間感覚が思いっきり変形してしまうような,
錯覚を感じますね。不思議なくらいに。どういうことなのだろう・
みんみん拝
うぉうぉうぉ。ルナシーのペナントとな。
それってつまり、三木くんの言っていた宇宙ペナント?!
ルナ・シー、月の海!
2000年ペナント。ぜったいいいよ。
20世紀の頂上に辿り着いた!という感じ。
山本さん、おじいちゃんがバンドエイドに関わりのある仕事を
していただなんて。もうこれは決まりですね。
阪急桂駅の前の本屋に、ルナシーのペナントあったよ。
でもペラペラでしょぼかった。
電子ブロックを知らない?!
僕は昔電子ブロックが欲しくて夢にまで見たのです。クリスマスに買って
もらったんだけど部品をすぐに壊してしまったのでした。
最近ガチャポンといい、「キン肉マンU世」といい、今更ながらリバイバル
ブームをひしひしと感じるね、この波に乗り、ペナントもイケルか?
「2000年」ペナントなんてどう?
2000年問題の騒ぎは、なんか分かったようで分からんようで、
特に今年の4月9日、9月9日、12月31日に何かが起こるという説は、
どことなくオカルトじみた雰囲気を持っていて面白い、きっと2000年問題は
将来懐かしくちょっと恥ずかしい思い出になると思うよ。
山本さん、バンドエイド作戦あんたがやりなさい。これは映像になります。
おじいちゃんに案内されて古い工場の扉を開ける山本。そこには蜘蛛の巣
まみれの古い機械が置いてある、おじいちゃんは埃を払いながら、戦後
人生を共にしてきたその機械との思い出をとつとつと語る。そして機械は
長い眠りから覚め、今度は孫娘の手によってバンドエイドの新しい歴史を
紡ぐのであった…
[i]とりあえずそういう事です。
今日、ベアリング(?)というものがどういうものであるか
というのを初めて知りました。「えっ!知らないの?」っという
顔をされたので焦ってしまいましたが、知りません。(笑)
「電子ブロック」というのも何だかさっぱりわからないので
今から見てきます〜。
陰陽五行の星マークの入ったペンダント!気になる気になる。
それに、ヤッターパンダ!!! ヤッターマンでホントに骨折して
人生のお仕置きを受けた私には、自分を振り返るよい一品に
なりそうで、気になります。
あっ。それから、バンドエイド〜。よくよく考えてみると昔、
おじいちゃん家で作ってたのを思い出した・・・・
(↑布織りの小さい町工場)。中のガーゼの部分だけだけど。
今はもうやってないと思うけど、何か聞いときます。
>文化鍋ラー
突然メールが来たので驚いたのですが、
あれは自己紹介をすればいいの?
ミステリースポットと言えば、
何を思ったか、今日は午前中仕事をさぼって、
ひとりで一条堀川にある晴明神社に行っちゃいました。
お馴染み阿倍晴明を祀った神社で、鬼が出ることで有名な一条戻橋のすぐ近くにあります。
五角形の絵馬がありました。それから陰陽五行の星マークの入ったペンダントもありましたよ。
どちらも買ってしましました。今日はなぜか欲望のままに過ごした感じなのでした。
お座敷に出張して舞妓業をやることを思えば、シノバーにも通じるところがありますね?!
シノバー定番のお座敷遊びってのもあったりして。文化鍋の定番も作りましょう。
山宮くん、BIG Tomorrow見たよ!
そうか、健康機械はおしおきマシーンだったんだね!
僕としたことが、そこには気付かなかった。
思い返してみると、僕もキリンで山宮くんの導かれるままに
無邪気にはしゃぎながら体験しましたが、それがおしおきされていただなんて、
一本とられました。
ところで、河原町オーパの中にある店に、ヤッターパンダの超合金が売ってましたよ。
どれだけ欲しいかと思いましたが、プレミアがついて1万円以上してたのであきらめました。
裁判マシーンだったら買っていたかもしれない。
電子ブロック!いいですねえ。でも「学研」ファンとしてははずかしながら、
それはもっていなかったんですよ。ちょっと難しそうで、買うまでには至らなかった。
大人(青年?)になってからの方がはまるかもなあ。
これから欲しいものは、青年芸術家連絡会議の教材として共同で買おうよ。
GPODに置いておいて、児童館みたいに自由に遊べるの。青年館ですね。
最後にオススメグッズ。
僕は最近ハクキンカイロにはまってます。
使い捨てじゃなくて、昔ながらの、ベンジンを入れて点火して使うカイロです。
おじんくさいと思われるかも知れませんが、このカイロ、ルックスがとってもよろしい。
ステンレスの印篭型ボディーがたまりません。
僕は使い捨てカイロはどうも性に合わないのですが、ハクキンカイロには愛着感じます。
もしかしたら、これもペナントのようにもうすぐ消えてしまうんじゃなかなあ。
気になる人は今のうちに買っておきましょう。
UFO是非行きたいです!僕は小さい頃UFOも人魂も見たし、
予知能力もあったのです。でも大人になった僕は信じられないのですが。
野口さんのやってる事って、心理学みたいな物?
http://paper.cup.com/圓山の書生さんが貰った舞妓シールというのはシノバー・プリクラ、略してシノプリのパクリです。(ウソ)
舞妓の名刺は昔から可愛さを表現するためかバンドエイドくらいに小さいものとは決まっていたようですが、最近はそれをシールで貼れるようにしたものがは流行っているそうです。(ホント)
谷本くん、学研ユニット、大賛成。
ありがたく、ラブ・コールを受け取ります。
ちょっと展開が早すぎて、体力が追いついてない私。
結構オールドタイプだと自覚してます。
>生駒の神様(膝小僧をはずす事で、腰痛を治す事が出来る仙人)と
出会った話などが面白かった。どう?生駒人の三木氏。
そんなん、知らんぞ!(笑)
でも、生駒山は、UFOや幽霊、新興宗教なんでもござれの
ミステリー・スポットで有名よ。
しかも、江戸から続く遊廓街が今でも営業中!
大阪側の石切神社は、駅の前は、占いや宗教団体であふれます。
そ〜言えば、石切(イシ・キリ)がイエス・キリストがなまったもんだというこじつ
けでも有名で、昔横尾忠則が番組で取材してたのねん。
主祭神もニギハヤヒの命って言って、ちょっとミステリアスな神様なのねん。
一度、みんなでスケートに来るついでにUFOでも見る?
大マ王様、川村様、お返事ありがとうございます。
毎日ここを見ないと話題に乗り遅れちゃいますね。
音楽療法について、確かにいろいろな意見があるのですが、
いろんな人がいろんなこと言って、
でも何が何だか分かっていない、分かろうともしない
(もちろん人によりますけど)
その上金儲けしようとするような人も大勢いるというのは
やはりあまりいい状態ではないと思います。
本気で研究・実践している人もいる中、こんなことは言いたくないですが・・。
音楽療法そのものに対してわたしが否定的に思っているわけではありません。
でも、もっときちんとした研究が必要なのです。
このまま、「音楽療法」という言葉だけ先走ってしまうのは
とても不安です。
確かに、何を思って音楽家が音楽療法をはじめるのか
というのも、元音大生のわたしには、どきっとする言葉でした。
>だって、なんで音楽やってるのかよくわからないような人が、なんで困ってる
>人を助けられるもんですか。
それは、音楽療法に限らず、演奏や教育でも同じことが言えます。
どうしたらいいのか、日々考えているところです・・・
わたしはただ、元気な人にも、そうでない人にも、
できるだけ多くの人に、音楽の楽しさや感動を伝えていきたいなあ
と思っています。
(ああ、まとまらんかった・・)
やまみやさん
わたしは、いま大学院に行ってます。
音楽が人の心や身体にどのような影響を及ぼすか
という研究をしてます。
こう書いてみると、結構あやしげかしら・・
http://kids.gakken.co.jp/kagaku/book/olpage.htmミッチー釈永氏より学研情報。ネットで学研が注文できるらしい。
でもこの歳で学研のおばちゃんに会うのは恥ずかしい…
次は山口大亭だ!
http://www.jade.dti.ne.jp/~dbk-co/皆さんは電子ブロックと言う物をご存知か?回路図の刻印してある
プラスティックのブロックを組み合わせると、本物のラジオや電子楽器
ができてしまうすごい玩具で、僕は小学生の時にこれにそれこそ
めちゃくちゃはまったのです!それがファミコンブームの波に流され
いつしか消えていたのですが、ついに復活となりました!万歳!!!!!
しかも小林幸子電飾でおなじみのモリワキヒロユキ氏の手によって
バーチャル電子ブロックが開発されているらしい。コーダイ先生は
最近レゴロボットに凝ってるみたいですけど、僕は何と言っても電子
ブロック派です。今でも業者向けのブロックを細々作ってたなんて泣かす…
昨日、うちのお宿にBBCの取材と舞妓さんが来ると書きましたが、
撮影は無事終わりました。
で、ぜひ報告(自慢?)したいのは、
今日来た舞妓さんに名前入りシールをもらったということです。
「藤花」さんという舞妓さんで、実は彼女は、
厳しいしきたりと上下関係の残っている祇園の舞妓界で謀反をおこして、
独立して舞妓業をやっているという、何年か前、結構話題になった人です。
ちなみに、彼女らと仲良くすると、祇園の人から嫌がらせを受ける?!
といううわさもあります。
で、シールですが、よく神社の門とかにはられているやつです。
僕もこれがどういう存在なのかよく分かっていないのですが、
まあ、名刺みたいなもんなんでしょうね。
それこそバンドエイドくらいの大きさですよ。
もらったはいいけど、どこにはろうかな。
目立つとことにはって歩いていたら、京都では痛い目にあうかも?!
島袋さんってよく知らなかったんですが、
「旅行」そのものを作品にしているんですか。
ますます会いたかったなあ。残念。
僕にとっても「観光」は大きなテーマのひとつでもあるんです。
京都にきてから、嵐山、円山公園という、名所・名勝ばかりに住んでいますしね。
しかも今は旅館に住んでいる!
名所は写真メディアによって伝達されることで成立したという構造もあり、
観光地に住むということは、三木くんたちのやった『写真に住む』に
どこか通じるものがあるのではないでしょうか。
最近はそこんとこらへんを掘り下げて考えたいと思っています。
ぴょさん、ヨーコ犬シールいいですねえ。
さすがにりぼんを読んでいたわけではありませんが、あの雑誌は
ふろくというか全員プレゼントがあってすごいなあと
男の子としてはうらやましく思っていたものです。
それと、話はえらいずれますが、ヨーコ犬の存在自体が愛おしい。
ときめきトゥナイトの話の展開上、蘭世と真壁くんの仲が近付いて、
ヨーコの登場の仕方が難しくなってくるところを、犬にすることで
うまく回避し、それどころか、ヨーコが愛らしくさえ思えてくるという、
作者のキャラクターに対する愛情が感じられて、感心しています。
学研の「科学と学習」は、小学校時代の僕も最も楽しみにしていたものでした。
あと、学研の「ひみつシリーズ」という学習漫画は、僕のバイブルでもあります。
思い返してみると、小さい頃、とにかく「学研」ファンでしたね。
僕は漫画が描くのも好きなのですが、根底には「ひみつシリーズ」の精神が流れています。
ちなみに、現在僕は、学校の保健室にはる健康をテーマにした漫画も仕事で描いてるんですよ。
また何かの機会に皆に見てほしいと思います。
神経を細らせて、寝込んでいる?三木くんにラブメッセージ。
三木学と谷本研で、ユニット「学研」ってのはいかが?
バンドエイド作るって行ったけど、根拠があって言ってるわけではない。
さーどうすればいいのかな、薬事法との絡みもあるでしょうし、
その辺のプロセスを含めると今時の作品って感じがしますね。
ネット上ですべてやり取りしてるとドキュメントまとめるの楽でいい。
「世界への触覚」(屋上アンテナ)の時も、こんな感じで話を膨らましたのです。
実は、こういうのってBBSよりネットニュースの方がいいかもしれない。
長期プロジェクトで考えているので、来月すぐに出来るってもんでも無いし、
女子高生リサーチやるなら新学期を待った方が良いのではと言う気もします。
BIGTomorrow133ページ見るべし。来月はPL教団からインタビュー受けます。
あっ。ほんじょうさん、こんにちは。
こないだは、ちょっと挨拶しただけで立ち去ってしまってごめんね。
気分がローな時は、ものすごく人見知りするので・・・気をつけよう・・・。
またCASにもお邪魔しますので、どうぞよろしく。N先生ネタも教えてね。
ふろくと言えばりぼん!そして科学と学研!(笑)違うかな?
今でもあるなぁ〜、セラミックの破片とか、豆電球とか
蟻育てるやつとか・・・
シール大好きなので見てみたいです。>ヨーコ犬シール。
流行って噂と同じで、作ってる人がいるんだと思います。
服は特に、流行色を含めて、大きなコレクションでその流れが
決定されてるんじゃないかな?同じような色や服ばかりだと、
売れないから、経済的なこともふまえて考えられているはずです。
バンドエイドに匂いを付けて欲しいんだけど、できる?(笑)
メロンとかイチゴとかね。
逃げないでご参加ありがとう。
最近一応資料と称して「小学二年生」を買いまして、付録作りに凝っています。
これ結構面倒くさいね。山宮作品として、「大人のフロク」と言うシリーズを
発表する予定ですのでお楽しみに。
服屋で良く、この冬はこんなんが流行ですよって言う店員いるけど
あれって誰が決めんねん
今日、某筋から仕入れた情報を基に、IMIに潜入して参りました。
島袋道浩氏という、旅行そのものを作品にするような何とも説明の
し難い活動をされている作家がいて、彼がIMIにレクチャーに来る
チャンスに接触を図ったのです。
レクチャー自体にはさすがに参加できなかったのですが、島袋氏には
いろいろ話を伺う事が出来ました。やはり自分の足で気になった所や
人と出会えるように気をつけているらしく、特に最近は南蛮画などの
時代の変わり目になんとなく現われてしまう絵を見たり、あと、
生駒の神様(膝小僧をはずす事で、腰痛を治す事が出来る仙人)と
出会った話などが面白かった。どう?生駒人の三木氏。
島袋氏は椿さんのワークショップのゲストとして呼ばれていたのですが、
これから海外でやろうとすればやっぱ「日本」だそうです。言われてみれば
確かに島袋さんが芭蕉をなぞっていると言うのも判ります(これも江戸!)。
んーでもあざとくなく「日本」をやるのは難しいな。
セラピーと迷信の話ですが、科学も一種の迷信であるという事で、
どっちもどっちって気はしますね。
僕も緑内障と言われて6年ですが、普通の人より数字的には見えてない
はずでも、普通の人がどう見えているか僕には判らないわけだし、
特に何の不便も今の所無いので、目薬さすのもオマジナイみたいな物です。
自分に責任さえ持てるなら=逃避なら逃避と自覚し且つモラルが有れば、
何を信じても他人がどうこう言うもんでも無い
音楽療法が胡散臭いかどうかは置いといて、僕はある程度の胡散臭さは
どんな文化にも必要だと思います。有名な映画監督がピンク映画を撮って
いたと言うような話はいくらでもあります。あんまり何でも一緒にする
のは良くないかな?
藤本レクチャー私とした事がうっかり忘れてた。音楽の死って?
バンドエイドほんまにやるからそのつもりでいるように。
送信してから、見てみれば、ホンジョウさんだ。こんばんわ。
今年の春は白が流行りなんですね。
この前、何かの雑誌で風水では今年はピンクがいいらしいです。
ピンクで思い出したんですが、肌色という言葉に問題があるので、
クレヨンなどは他の名前に変わったとか?何色なんでしょう?
読みにくくなってますよね?
ごめんなさーい。
少女雑誌のふろく。家で探してみました。めっちゃ古いシールがありましたよ。
例えば「ときめきトウナイト」のヨーコ犬シール。(わかる人は世代がバレル・・)
ふろくといえば、レターセット、もちろんシール、ノート、紙製のポーチ(箱?)、
トランプ、時々別冊ふろくまんが、ファイルなどなどでした。
今はもっといいのがついてるんでしょうね。
シールはまた機会があればお見せします。
(別に見たくないかな・・?)
う〜ん・・・、ディープですね〜ここは・・・笑。
そのまま去ろうかという考えがちらっと頭を横切りました。
しかし、乱入しちゃいます。一応自己紹介させていただきますと、私はCASの活動に参加している学生です。山宮さん、金曜日はどうも・・・(なんか、間接的会話でしたが 笑)
私も、土曜日はキリンで中村政人さん&藤本由紀夫さんの対談(「美術と教育・1999」)を聞きにいきました。(で、山本さんにもお会いしました)
面白かったのは、「教育」という視点から見た、お二人の経歴の違いについて話がおよんだとき、つまり中村さんのようにいわゆる「アカデミックな」教育を受けてきたアーティストと、藤本さんのように芸術的な教育は受けてこなかったアーティスト、ということなんですが、藤本さんが、
「2年前のアエラで、「アウトサイダーアート」という内容の記事が書かれ、障害者、マイノリティ、芸術の教育を受けてこなかった人がその芸術家として定義付けられていた。それを読んで、そうか、私はアウトサイダーだったのか・・・と思った」と言ってはったことなんですね。
このBBCではセラピーとしての芸術論が展開されていますが、「アウトサイダー」という定義とからめて考えると、障害者が産み出す作品は、これは「障害者が創作しました。(そしてきっかけが治療だったことなどが説明される)」という紹介のされかたをされますが、そこでは障害者のアートが「特別なもの」として定義されてるわけです。
ここにも芸術のヒエラルキーがかんじられますよね。
「肩書き」はなくては不便だけど、それが枠になることは得てしてあることで、その認識の難しさを感じました。
長くなりました・・・。
プレプロ実行委員のみなさま。
世紀末、日本経済を動かすのは「女子高生」。
そして今年の春は「しろ」が流行とか。
ペナント型バンドエードはしろでしょうか、やっぱし?
ミーハーネタ。
明日、うちの旅館にイギリスBBCの取材が来ます。
僕はよく知らないのですが、MTVの英人女性DJも来るそうですぞ。
京都紹介の番組の取材らしく、舞妓さんや三味線を弾く人も呼ぶんです。
仕事が早く終わったら、僕も野次馬しようっと。
金曜日のCASはバイトが終わるのが遅くって行けなかった
のですが、昨日のキリンの講演会から。ここの話にも関係
あるかなと思うので書きます。
藤本さんが、音楽の世界では、ビートルズが登場してことによって
「音楽で世界を変えられる」とか、そういう考え方が残ってるって。
でも今、CDが売れなくなってきてるから
音楽も死にそうになってる・・・死んじゃった方が面白い・・・
というようなことをおっしゃってまして、いろいろ考えてしまいました。
美術の世界ではビートルズのような人々が現れなかったから
とっくの昔にそういう幻想からは離れてしまった。
音楽って、造形芸術と解放度が全然違うし、経済との関わり方も特殊ですよね。CDってマルチプルだし。
「芸術で世界が変えられる」とか「人を救える」って
大きなお世話で、音楽療法やアート・セラピーに感じてしまう
胡散臭さってそのへんにあるように感じます。
でも、今の私にとっては音楽って楽しいものだし、
ちからを信じてないわけではないのです。
まとまってなくて、すいません。
>プレプロ実行委員のみなさま
バンドエイド、ほんとにつくるの?(笑)ほんとにつくるんだったら
ウワサがどのくらい広がるものなのか、それとなく
試してみたいのです。
雨ですねえ。
昨日、山宮くんにIMIに行こうと誘ってもらったのに、
今日はお宿の留守番で、外に出れません。
この後、こちらに三木くんが来て、
展覧会の新しい企画について打合わせをする予定だったのですが、
三木くんの体調がすぐれず中止。早くよくなってね。
山宮くん、プーさん、昨日は京都巡りに誘ってくれてどうもありがとう。
peopleのブルースさんのアトリエは、偶然にも、半年前までバイトしていた
串カツ屋のすぐ近く(5分以内)にあったし、ギャラリー白川は、今の下宿
から予想以上に近く、10分ぐらいのところにあって、場所の縁を感じました。
ブルースさんのお話は、これから社会人として芸術活動を続けていこうとする
僕達にとって、本当にためになることばかりでした。と、言っても、ブルース
さんは決して僕達に啓蒙しようという感じじゃないんです。何より、ブルースさん
自身が、モノをつくることを楽しんでいて、だから目が輝いています。
やはり、大学の先生とはだいぶ違うなあ、と山宮くんとも帰りに話しました。
縁の話ばかりになりますが、peopleという筆箱は、昨年僕が展覧会を企画した
神戸ファッション美術館のショップでも扱っているそうで、嬉しくなりました。
帰ってから、ブルースさんにお礼のメールを送って、
「今度何かやるときは、ぜひお手伝いさせて下さいね」と書いたら、
早速、「いいアイデアがあったら、今度peopleを手掛けてみない?」
というような返事を戴いて感激。今すぐには具体的なアイデアがあるわけでは
ありませんが、peopleは、作品であり、商品であり、ファッションともいえる
既成の捉え方ではカテゴライズできない不思議な存在なので、
素材としてとても魅力的なモノです。いいアイデアが思いつき次第、ブルースさんに
提案してみようと、わくわくしているところです。
山宮くん、IMIはどうでしたか?また報告お願いしますね。
今年は、しょっぱなから、刺激がいっぱいです。
http://member.nifty.ne.jp/tatsutoshi_kawamura/えー、確かに一時期ケージを一番たくさん扱っていた画廊ですね。
今の場所に移転する前にも一度行きましたし、
移転してからも昨年だったかな、一度行って、
まだ残っているケージの版画の在庫を2枚だけ、見せていただきました。
その版画は個人に流れたのもあるけれど、基本的にはざばっと高知県立美術館に
買われていったそうです。
大マ王さんがしばらくいらっしゃらないということなので、野口さん宛にしようかな。
音大で音楽やってる人(楽器をやってる人)のうち、いったい何割が
音楽やってて本当によかったって思ってるんでしょう?
美大もそうかもしれませんけど、基本的にプロ養成学校ですけれど、
そんなにたくさんのプロは世の中に必要ないので、結局すごく少数の人しか
演奏家にはなれず、ごく一部が研究職になって、大多数は教職、そのまた大多数は
自己申告制教職(私塾の先生ってやつ)、あるいはただの通過点、ってことに
なってるようですね。
音楽を楽しみ、それを分かち合う力とか方法なんてのは、音大に行かなくても
身についてしまうので、音大で何を習ってどんな学生生活を送っているのか
はなはだ判断に苦しむ人に多く出会います。確かに指はよく動きますが。
こんなやつらに、プロ以外の道として音楽療法士への門戸を開くとは
ちゃんちゃらおかしいのです。
だって、なんで音楽やってるのかよくわからないような人が、
なんで困ってる人を助けられるもんですか。
多くの場合、音楽療法の手伝いに行った音大生は、患者から逆に音楽を教わって
感極まってしまうようですよ。指がまわっても心はからっぽだったらしいや。
なんのことはない、自分が患者になっているんですよね、音楽療法に興味のある
人ってさ。自分がそこそこ楽器が弾けたり譜面が読めても、
音楽とのつきあい方がわかんなくなっているってことに、うすうす気がついた人が
音楽療法という実体じゃなくて言葉に反応してるだけかもしれないね。
自分にはできる、なんて思っちゃったりして、実は自分がしてもらいたいことの
裏返しなんだろうね。
昨日はCASでのレクチャー。今日はプーさん、書生氏と京都巡りという、
連日遊び人の山宮です。大マ王氏のお話に出てきたギャラリー白川ですが、
本日早速調査させていただきました。
確かにガイア/精神世界系のギャラリーで、画廊に入ると奥にたたずむ紳士
たちの、ノストラダムスと世界の終末についての熱い議論が聞こえて来ました。
まーでも、ここはかなりスペース的に素晴らしいです。足の便もいいし、
空間もキレイで、全面総ガラスで明るく、辛気臭くないのも良い。杉Yさんが
おっしゃるように、京都画廊界の穴場的な印象。しかもケーキがおいしかった。
画廊のオーナーが熱っぽく語るには、ケージも重点的に扱っていたらしく、
今は美術館に行っちゃってないんですけど、その前は日本で一番たくさん
あったのよ。と、おっしゃってました。オーナーの真剣な目も印象的です。
今日の京都巡りのメインは、嵐山でオリジナルの筆箱を作りつつ、様々な
美術活動をなさっているブルース氏のアトリエ兼店舗に訪問する事でした。
ブルース氏は元デザイナーですが、今では7年前からずっと人型の布製の
筆箱「People」シリーズを制作していらっしゃいます。すべての筆箱は
一種類につき3 4点という小ロットで、自分しか持ってないもの、持つだけで
何かが変わる物を、作家個人が今の社会の中でどう人々に届けるかという
所にポイントがあるというような事をおっしゃっていました。
あと、ブルースさんが学生の頃に作った蒸気機関の画像を見せていただいた
のですが、これがまた、ラジオペンチと真鍮と半田だけで出来た小さい物で、
それでも本物と同じように動作し、意外と頑丈だという話で、設備はなくても
何でも作ってしまう所が素晴らしい!
このアトリエが、嵐山の大通りからすこし離れた所にある、大変小さな
可愛らしいアトリエで、店舗も猫の額ほどしかないのですが、規模は
小さくても自分の好きな事しかやっていないという自信にあふれていて、
大変魅力的な方でした。
<川村様
○ゴシップの件
Uum…、細馬さんに確認しなければ…。
なんて、他人んちのふーふのなれ初めを「確認」してどうする(笑)。
○気が重くて避けた話題
室坂さんへの音楽療法の話、興味深く拝見しました。
中にあった「音楽家になれなかった音大生の進路としての、云々」という話題、
同じようなことがアートセラピーの世界にもあるようです。
話がちらかるので、野口さんへの御答えでは、避けて通ったのですが。
斉藤さんがアートセラピストのコースを採ったドイツの自由芸術大学でも、
芸術療法コースの学生と、芸術家コースの学生の間にかなり軋轢があったようです。
これは、後者が前者を「アーティストになるだけの才能がなかったから、セラピス
トコースに行っている奴ら」と、一段下に見下すことから生じるもののようです。
これはまったく根拠のないことですが、どこでもおきがちなトラブルですね。
大学や自治体が音楽療法に本格的に取組み始めている日本でも、同じようなケース
が、今後出てくるのだろうな、と思います。現に、音楽療法の現場にいる人から
「いっそ、音大で音楽療法のコースなどを作らずに、心理学科や医療福祉系の大学で
教えることにして欲しい。“音楽家”とは関わりあいたくない」という言葉を聞いて、
つらい気持ちになったことがあります。
私の活動は、あんまり音楽療法とは接点がないので、それ以上の詳しい状況はわかり
ません。
○明日から東京での「光の感覚体験ワークショップ」が始まるので、これから1週間
あまりここに伺えなくなります。
何かありましたら、また、来週以降にでも。
大マ王様
ゴシップで恐縮です。細馬さんがオクサマを見初めたのは、八谷和彦氏のメガ
日記がきっかけで、彼らは待ち合わせをして会った、と聞きました。この件は
日経新聞に取り上げられました(笑)。
http://member.nifty.ne.jp/tatsutoshi_kawamura/大マ王様
私の書いたものに対して過分のお引き立てを賜り恐縮でございます。
野口様
偶然ですか、ニフティ経由で私に音楽療法についての問い合わせをしてきた方がい
らっしゃいまして、その方にメールをお返ししたところです。ご参考までにご披露
しますのでどうぞお読みくださいませ。
------
室坂京子様
> はじめてメールを差し上げます。私は室坂京子と申します。パソコンは初心者で何か
>不都合があったらお許し下さい。
いえいえ、メールありがとうございました。こちらこそ、多忙にかまけてお返事が
遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。別にあなたのメールをいぶかしがっ
てお返事しなかったわけではありませんので、どうぞ御安心ください。
>サウンドスケープ協会のことは医と社会のフォーラムで知りました。私はピアノの即興
>演奏でもって美術空間、写真等ヴィジュアルなものとのとのコラボレーション活動をし
>ていますが、環境としての音楽療法に興味があります。何かその様なワークショップや
>講演でもあればお知らせいただけないでしょうか?
そのフォーラムに私が音楽療法のイベントの話をアップしたのはもう1年以上前の
ことです。日本サウンドスケープ協会の活動は、音楽療法以外にも多岐に渡ってお
りますので、その後、音楽療法に特化したイベントは催しておりません。ただ、仕
事として音楽療法に携わっている方々との輪は作れましたので、今の私は、音楽療
法と一口にいっても、いんちきっぽいヒーリング系から、人生と命をかけて取り組
む対精神障害者・対老人系のどろどろした医療にいたるまで、ものすごい幅がある
ことがよくわかっているつもりです。
昨年1月には自分で開催している WINDS CAFE という集まりで、「音楽療法士とい
うしごと」という本を出された出版社の編集者の方を招いていろいろお話をうかが
いましたが、これまた大変な話し合いに進展してしまい、アーティストになれなか
った音大卒業生の進路の一つとしての音楽療法士を考えてしかるべきか、という大
問題が提起されました。そう、音楽療法士という仕事が、アメリカでは確立してい
て、今や日本でもそうした資格制度を導入する運動が実を結び始めています。療法
という以上、それは医療行為の一端には違いなく、そこが芸術との大きな違いなの
だと認識しています。
あなたのおっしゃる「環境としての音楽療法」というのがなんのことかわからない
ので残念ですが、患者を主体にして考えたとき、音楽療法における環境とは、まず
第一に患者の家族のことであると思いますが、そういうような意味ではないのでし
ょうか? もしもっとアート系、あるいは癒し/ヒーリング系、という方にご興味
をお持ちでしたら、申し訳ありませんが私はそれにお答えする術を持ちません。と
いうか、そういうの、大嫌いなので。
空間建築もしくは環境デザインの一環として、ある場所+時間を「癒し」をテーマ
に構成する、ということでしたらまた話は別です。そういう仕事をしている方も大
勢いらっしゃいます。あるいは芸術家として、そういう方向に道を見出している方
も心当たりがないではありません。しかし、そういうのも、すごく嫌いなんです。
ああ、語気が荒くなってしまった。とにかく、シェーンベルクを聞いたりアルバー
ト・アイラーを聞いた方が癒されるという人もいらっしゃる、あるいは私だってあ
る時期にはそうなるかもしれません。また、カラオケにいったり、仕事以外のイベ
ントをやったり、もしくは散歩にいったり、というだけでもうすっきりしてしまう
なんてことはいくらでもあるわけです。というか、「音楽」療法でなければならな
い治療が必要なのかどうか、ということの見極めは、音楽療法士や患者が考えるこ
とではない、ということなのです。
人をある場所に集めて、あるいはすでに人が集まっているような場所を利用して、
「誰かが」「人々を」「癒してやろう/療法を施してしんぜよう」というのは、音
楽療法という名を語ってはいても、実際は個人の表現活動に他なりません。少なく
とも表現意欲とはぜんぜん別のところに音楽療法士の仕事があると私は知っていま
すので、そういう意味で「環境としての音楽療法」という活動についてのワークシ
ョップや講演が存在するということがどうも考えにくいのです。
さて、長くなりましたので、この辺にしましょう。まとめますと、2点になります。
あなたのメールから、あなたに有用な情報をお伝えするのは、情報不足のため、今
の私には困難であるということが一つ。ですから、もう少し具体的にあなたの活動
や興味、そして「環境としての音楽療法」についてのお話しを教えてください。そ
して、もう一つは私が本物として積極的に関心を持っているのは医療としての音楽
療法であるので、音楽療法ということばの広がりの中には、いんちきとして許せな
いものも含まれている、ということ。ですから、もしあなたの興味が治療としての
音楽療法ではないのであれば、私はあなたと音楽とか芸術についてのお話をしたい
と思います。
とりあえず、最初のお返事は、こんなところでいかがでしょうか。
もしあなたがホームページを読める環境であれば、このメールへお返事をくださる
前に、私のホームページを読んでおいてください。私がどういう人物であるか、ご
理解いただけると思います。
では、お返事をお待ちしております。
<書生様
その英語版は見たことありません。
みかけは、今も昔も三回塾系ですが(もっとふっくらしてる…)、
別に舞台に立っていたわけではありません。
友人の神領国資という舞踏家が、土方さんの「舞踏懺悔録」で踊っている
見開き写真の右下、舞踏家のすぐ脇の客席で、英国人女性といっしょに
目をむいて見詰めている私の姿がかなり大きく写っている、という
だけの話です。
*
鍋の御招き、ありがとうございます。
もしも私もいっしょに伺えるとしたら、ぜひ!
(まだ、行けるかどうか、わからない)
行けなかったら、斉藤さんを誘ってあげてください。
気っ風のいい、くの一忍者系(?)の姉御です。
アートセラピー以外にも、現代美術、文化人類学系など、話はみなさんと
共通するところが、きっと多いと思います。清酒に目がありません。
(ベルリンでは、ずっとクロイツベルクに住んでいたという、すごい人)
<野口様
投げ掛けられた問い?に応えないでいるのは失礼なので、ちょっと
一言だけ、御答えしておきます。
「うさんくさい」とおっしゃいますが、アートセラピーはドイツ、および
イギリスでは、看護婦などと同じ「国家認定資格」として扱われており、
多くの美術大学内にも、アートセラピストのカリキュラムが備わっています。
それは「うさんくさい」ものなのでしょうか?
日本の現況に関して、のみ、ならば、不当に高い授業料をとって、芸術療法を
学べると称する講座を開いている例もみかけます。
私自身に関しては、
ワークショップを開催する時は、斉藤氏同様「国家認定資格」を取得している
人、ないしは、相当、病院など現場での場数を踏んできた人としか組みません。
私にとっては、その「国家認定資格」すら、1つの判断材料でしかありません。
臨床家としての能力の有無、他の分野に対して開かれた知性と好奇心を持って
いるか否か、そしてアートセラピスト自身が芸術によって「深い体験」をした
ことがあるか否か、の3つによって、組むべき相手を判断しています。
この3つをある程度満たしている方としか、共同研究はしておりません。
そうした上に立っていなければ、受講者に安心して御奨めできるわけはありま
せんから。
(3つ目は、先にこのBBSで川村氏が「感激」と「感動」に分けて話された
ことと非常に共通するものがあると思いますので、そちらも参照してください)
*
「(音楽療法に関して)科学的根拠がない」とおっしゃいますが、この断定も
真意がはかりかねます。
あえて問いますが、アートセラピーやミュージックセラピーに「科学的」「根拠」が
なければいけないのでしょうか?
医学的な方法論、じゃなくて?
これは、けして揚げ足とりで言うのじゃなく、アートセラピーと「科学的データ」の
因果関係を立証するのは、非常に難しいし、それは本質的な困難さだと思います。
「何が原因でクライアントの状態が変わったか」という時に、「この絵を書いたから」
「この音楽を聞いたから」と言い切ることはできないと思います。
近年、「治療共同体」という、医師とナースとアートセラピストの三者が、三様の視点
から1人の患者を、ミーティングを重ねながら診ていく方法が、内外の病院でも試され
はじめているようです。これは、三者それぞれが欠けている部分を相い補ない、認めあ
いながら、クライアントを見ていくという意味で、新しい関係性を作っていると思います。
そこでは「アートセラピーは科学的根拠がないからダメ」(と野口さんが言っているわけ
ではない)と排除するのではなく、セラピストは自分の視点からセラピーを行い、報告し、
医師やナースは、それを受けながら次の一手を考えていく、という複合的な視点があります。
日本のような、病棟における医師の専制が、けっこう崩れているように見える
のも私などには興味深いです。(芸術と科学の関係にも多大のヒントを提供してくれる)
*
ま、この辺の状況は、斉藤さんが詳しいです。何しろ、ドイツと同じ感覚で、日本のがん研に
アートセラピーのWSをしに行って、医者に「私の患者に何をするんだ」と言われた経験がある、
という「伝説」もありますから。
*
一言が長くなってすみません。
*
あっ、野口さん、私、本名は石黒敦彦と申します。別に医療関係者ではありません。
一応、自己紹介。
> ペナント型バンドエイドって、ペナント型ハンカチよりは断然
> 売れそう・・・(笑) でも売れるだけじゃ嫌なんでしょ?
そーか、それそれ、僕が山本さんから聞きたかったのはそー言う
事だったのね。でも実際やるとなるとバンドエイド業者(そんなん
あるのか?!>を探さないといけない。ちょっと待ってね。
で、もう一回この話を復習しますと、僕の提唱するプレゼント・
プロジェクト(略してプレプロ)とは、コレクションという行為でなく、
プレゼントをメインに美術を流通させていこうというプロジェクトで、
売れるだけというのも大いに結構。(八谷氏がすでにやってるけど)
その一環として、ペナント復活作戦とか、女子高生作戦(女子高生を
集めて、新アートグッズを考えてもらう)とか、カップル作戦(二人で
楽しめる作品)とか色々考えてるわけです。
これだけ聞くと、なんかあざといだけって感じもしますが、僕なりに
色々考えてて、いきなりですがやっぱり残念ながら20世紀の美術は、
科学や経済のおまけでしかなかったなという思いが有るんですよね。
もちろんおまけにはおまけの美学ってもんがあるんですが、それにしても
やっぱり、相対性理論の発見だとか、マルクスの資本論とかに比べれば
かなり便器も霞んで見えるわけです。
質量はエネルギーである!とか言われて、それが原爆みたいな形で
来られたら、それはインパクト受けるしかないです。そこで
イメージという物はどうしても後ろに回らざるを得ない、というか、
科学や経済が現代アート以上にぶっ飛んだイメージを提供してきた。
で、ここからが物語の始まりなのですが、今や世紀末、科学は人々を
恐怖に陥れ、経済は共産主義の失敗以降明るい未来を描けないという
時代で、これは我々にもちょっかいの出せる余地が有るのではないか?
という話です。僕は一つは科学を相対化するために健康器具を作り
続け、経済へのメッセージとしてプレゼントを氾濫させようという魂胆
なのですが、あんまりこれは山宮の作品だなんて了見の狭い事は言いたく
無いので、皆さんで共犯になりましょうという事なのでした。
京都の出町柳の方に、学生の頃から親しくさせてもらっている
美術書専門の古本屋があるのですが、
そこには、昨年の秋頃から、あの芥川賞をとりはった平野氏が
ちょくちょく出入りしてるそうですぞ。
ま、当たり前と言えば当たり前か。京大生だもんなあ。
うわさって、コワイけど魅力的。
「ペナント型バンドエイドを彼氏からもらうと幸せになれる」とか
女子高生には効きそうだなぁ。
美藝公は、たまたま図書館で見つけました。
芸術における問題が満載されたアイロニックな内容で
思わず一気に読んでしまいました。
>三木さん
そのうわさは、彼女自身のことですよ。(笑)
彼女はいつも私のことを話しているようで自分のことを話しているのです。
他人がつくる私と自分がつくる私。(エヴァっぽい〜)
ホントの自分とかってかなり怪しい存在ですよね。
核って最初からあるんじゃなくて、寄せ集めた部分の内部で
自分で何とか作らなきゃいけないのかも。
うわさも寄せつけないない純粋なオリジナル。
カッコイイけど、なさそうな気がする・・・・
TASKE氏のラップを初めて聞いたときはぶっとんじゃたけど,
そうなのか,彼女ができたのですね(感動)。
彼は京都に住んでいるのですか?
このBBSのおもろいところは書き込みの内容も凄いし,
こういった類のびっくりするようなゴシップ情報も
びっくりする確率で書き込みがある,ということですね。
ところで,性差や「ナントカらしさ」っていったい誰が決めたのだろう。
機械いじれない男の子もいるし,料理つくるのが好きな男の子,
さらにはめちゃ甘いお菓子が好きな男の子もいる(全部僕)。
人間の嗜好の傾向って,たぶん後天的に無意識に潜在的に
埋め込まれた部分も多いと思う。
いちばん怖いのは,そうした性質がもともとあったものなのか,
はたまた誰から植え込まれたものなのか区別できないことですね。
自分の核となる自分でつくった純粋な思考の部分って,いったいあるのかな?
みんみん拝
じゃー僕もゴシップ情報。
TASKE氏に彼女が出来たらしい。しかも精○大。
野口さんって、そういや今何やってるんだったっけ?
大マ王さま、(あれ?メビウス氏ですよね)
残念ながら、今、手許にあるのは日本で出版されたものです。
でも全部英語で書いてあるので、実はよく分からないんです。
タイトルは『BUTOH』そのものなので、もしかしていっしょのモノなんでしょうか。
どういう形で載っているんですか?大マ王さまは舞踏もしていたんですか?
ギャラリー白川は我がお宿に結構近いことが分かったので嬉しいです。
ここも東山です。八坂神社を登ったところです。
こちらに来られる時はぜひ、皆で我がお宿「吉水」で文化鍋しましょうね、
と山宮くんや三木くんとも言っています。
この前かき込んでからそんなに日が経っていないはずなのに、
もう自分の書いたところが見当たりません。
いやー、ここはほんと濃いですね。
わたしにはいいブレーンストーミングになります。
アートセラピーというものに対して、大マ王さんがどう思っていらっしゃるか
分かりませんが、音楽療法がやたらともてはやされているのにうんざりしている
わたしには、何々セラピーというのがどうも胡散臭く思えてしまうのです。
(すみません・・)
ちなみに音楽療法の場合は、効果は認められても
科学的根拠がはっきりしていないことは確かです。
そもそもなんでみんなそんなに「癒し」を求めているんだろう。
世間はそんなに疲れてるのでしょうか?
<山宮様
今、雪深い富山(北陸電力エネルギー科学館)経由
長野(おぶせミュージアム)で、帰ってきたところです。
いやぁ、晴天の下で、白く輝く立山連峰の美しいこと!
*
ギャラリー白川の件は、結局、神戸のS 山さんに、聞きました。
彼女も知らなくて、白川で個展をしたことがある人に聞いてくれました。
スペースもいいし(100平方m)、いい意味で京都の画廊界に染まっていないので
「いいのではないでしょーか」とのこと。ホッとしました。
その後、オーナーの池田真知子さんと電話で長く話してみて、WSに対して意欲
的なこと、主に船越桂の版画などを扱っているけれど、実験的な傾向の作家も扱
う意志があることなどを確認し、開催に踏切りました。
話していると、ガイア/精神世界系の感じがあるのだけれど。
私だって、はたから見たら、、、、。ま、あんまりアレコレ言わずに、京都で初
めて、全く未知なWSを開く勇気を見せてくれたことに、感謝しないと…。
G白川のホームページは、http://web.Kyoto-inet.or.jp/people/soulmate
*
ギャラリーでのWSは、いろいろ難しいことが多いです。開催自体が、経済的に
リスキーな上に、受け入れてしまうと、ギャラリー自体が微妙に変化しはじめるん
ですね。それに途中で気が付いて、思いっきり「引いた」現代美術の画廊も、過去
いくつもあった。
*
アートセラピー系の展示やWSも、難しいです。
「癒し」に反応する人たちの独特な傾向とか、アートセラピーについての過剰な期待
(と、それと同じくらい強い反発)が渦巻きます。
今回のWSは、広告の言葉には出していませんが、シュタイナー系の医療機関が開発
したものなのです。そんなことをチラシにうたったら、京阪神の、そっちの方面の連
中がワラワラと集まってきそうだし……。
それでは、タレルのように美術館や画廊といった開かれた空間での感覚体験として味
わう意味がなくなってしまいます。それをすごく心配しているのですが……。
ま、斉藤典子さんは、アーティストとしても、セラピストとしても、ドイツ、スイス、
カナダで場数を踏んで、とても開かれた感性を持っている人なので、大丈夫だとは思っ
ています。
山宮さんのことは話しておきますので、是非、一度会いにいってください。
S 山さん、大野さんにも、お奨めしておきました。
*
ちなみに、斉藤さんがうちの共同研究者になった91年頃、事務所で黒沢伸氏や昼間行雄
氏(こどもの城)、NECの三澤純子氏(ATE)、神奈川県の行政の若手などが交じって
“アートセラピー文化鍋”(うっ、まずそう!)をやったことがありました。
まだアートセラピーという言葉が今ほど認知されていない時代で、美術のオーガナイザー
たちに欧米の新しい動向を知って欲しくて“鍋”しました。
*
黒沢氏が出たついでに、細馬氏の話題も1発。
未確認情報ですが、
細馬氏が奥様を見初めたのは、なんと1995年のメビウスの卵展のWS講師
(題名が「飛び出さない、両眼視」!)
として東京にやってきた、その会場でのことだ、というのが、こちらの定説になっています。
*
しょーもないゴシップで長々とスペースを取って、すみませんでした。
*
<書生様
あの…、人妻さんの「舞踏」本が、もしもドイツで出版された「Butoh」だとしたら、
私、その中に写ってます(山海塾ぢゃないですよ)。
*
<三木様
IMIで98年度にアーティスト in レヂデンスを学んでいる人妻学生・竹内(伊勢)利枝さんは
メビウスの卵展仙台展の元実行委員長です。
う〜ん、ペナント型バンドエイド面白いねぇ
ペナント型シールなら実現可能性が高いから試作してみようか?
ペナント型のしおりもすごい
みんなで、考えると思わぬアイディアが出てホント面白い。
トレイン・スポッティングって見てないんだけど、
そんな意味があったなんて。非常に興味深い内容ですね。
特にスポッティングって言い方がとてもビビってきます。
ちなみにGPODの成立のきっかけは、オランダのスクオット・ハウス
つまり、不法占拠した家に住み続け、しまいに、持ち主がいないため政府から許可がおり、
合法で住んでいるオランダ一のアクティヴィストであるヘアート・ロフィンク氏の
家にIMIのツアーの一環で訪ねていった時、GPODのオーナー会社に勤務している
やりての人が、それに感銘を受けて、使われてなかった旧社宅である会社横のビルを
当時のIMIの若手アート関係者にかすことを、交渉して下さったというのが
きっかけなんです。
ヨーロッパでは、68年の5月革命と言われている学生運動からの流れで
使われていない場所を、住むこと、留まることを通じて占拠し、有効に使う
というスクオット運動が盛んだったんですね。
特に、市民社会が最も早く台頭したオランダでは、その交通的性質から
昔から移民だとかに寛容で、スクオット運動が最も盛んだったんですね。
そのスクオット運動のかすか流れを、GPODも継いてでいるんです。
だから、性格に言えばGスクオッティングかもしれませんね。(笑)
ちなみに、ヘアート・ロフィンク氏は、メディア批評家として世界的に有名で
その実践者として、世界各地に飛び回っています。
IMIのアーティスト・イン・レジデンスでは、3年連続招かれていて、
昨年度は、GPODにも宿泊しに来ました。
オランダのデジタル・シティなどの立役者としても有名です。
>山本さん、うわさによると、シャーロキアンらしいですね。
いろんなものに出会います。
一昨晩は、仕事の帰りにバスに乗って、どこかで夕食を済まそうと
三条河原町のバス停に降りると、目の前に偶然、河合と山村くんと馬場しん氏が歩いていました。
すんごい確率だと思いつつも、河合と僕はそういうことが多いので、お互い敢えて驚きませんでした。
4人で夕食。寡黙な馬場しん氏が、実は虫のコレクターだということを知り、3人はびっくり。
たまたまそういう話題になったのですが、彼は蟻地獄をかっていたり、
大学時代にも、海苔のガラス瓶にゴキブリ!を入れて、食べかすを与えて、無茶苦茶に増やしでいたり
していたそうです。あと、マニアックにも、馬場特製蜜を作ってどんな虫が集まるか試していたそう。
これも大学時代ですよ!このBBSでは、たぶん馬場氏を知っているのは山宮くんだけですが、
あの人がそんなことを!って感じで、如何に彼が大学時代自分をひた隠しにしていたかに驚かされる
出来事でした。
今朝、朝食中に旅館のアングラ妻が、ええもん見せてあげようかという感じである本を持ってきてくれました。
『舞踏』という写真集。白虎社とか山海塾とかの暗黒舞踏の写真集です。
好き嫌いの激しく分かれるモノですが、僕は嫌いじゃなく、たまたま今まであんまり見る機会がなかった
(一回だけ、その流れの岩下徹さんのダンスは見ました)んですが、その写真集、とってもよく、自分も
欲しいなあと思っているところ。今は借りているので手許にあるのですが。
今日の仕事の帰りには、河原町通のある古本屋の店先をなにげに見る。
そしたら、古い観光絵葉書があって、それを掘り返すと、中からペナント型のしおりセットが出てきました。
そういう存在は、前にも話していたし、何となく認識していましたが、こうやって、古本屋で偶然に
出会うと、う〜ん、驚きと言うより、先程の河合とのばったりに近く、当然のように向こうからやってきた
という感じ。「磐梯吾妻の旅」セットで、五つのペナントしおりが入っています。
猪苗代湖、磐梯高原、吾妻小富士、磐梯ゴールドライン、吾妻スカイラインの5種類。
100円でした。店のおばさんも「珍しいよねえ」と笑っていました。
その「珍しい」が、このブツが珍しいものなのか、こんなものを買う僕が珍しいのか、
こんなものを売っているその古本屋が珍しいでしょと言っているのか、定かではありませんでしたが、
いずれにせよ、何かこそばい嬉しさでした。
なかなかのブツなので、次の機会にぜひ皆さんにお見せします。
さっき、メールをチェックしたら、昨年知り合ったばかりの精華大学のガーデン中川さん
から返事が来ていて、学園祭でゲットしたキジの剥製をもらって下さいと書いてあって感奮。
欲しい!と即返事。彼女はまだあんまりしゃべっていないのに、よく僕の欲しそうなものが
分かったもんだ。どんな代物か、まだ見ていませんが、自分の部屋にキジの剥製が置かれた
様子を想像してにやけてます。デカダンやなあ。客観的に考えると…に違いないけど、
このBBSのメンバーにはモードとして受け入れてもらえるやろか。
『美藝公』は探しているのですが、まだ出会えません。文春文庫で出ていることだけは
分かったのですが。
ペナント型バンドエイドは気に入ってます。ペタペタと体のどこにでも貼り得るという
希有な存在がペナントの展示形態の特異性に通じるものを感じるのでイカします。
ドクターキリコか。まだ、さーっとしかみていないので、軽薄なコメントは控えますが、
すごいね。まさにブラックジャックとキリコの葛藤だね。
権威を持った学者ばかりが集まる学会よりも、こういうBBSの方がダイレクトに真実
が見えるかも知れませんね。
しかし、それにしても、ここのBBSは話題が豊富で、しかも全部が興味深くて、全てに
触れるのが大変だわ。現時点では忘れてしまっている魅力ある話題もあった気がするぞ。
まあ、モードもある時期がきたらレトロ懐古が流行になるというサイクルを持っているし、
様子を見て、また前の話題も大いに掘り下げましょうね。
ちょっと前に流行った『トレインスポッティング』って見た?
映画の雰囲気からは意外にも思えますが、「トレインスポッティング」とは
簡単に言えば「電車おたく」ってことなんだよね。パンフによれば、
電車を観察したり列車の番号を覚えることが趣味の人の意味で、
駅できょろきょろと電車を見回すしぐさをトレインスポッティングと言ったりするらしいです。
この言葉には「特定の場所(スポット)に留まる」という意味もあり、
原作者であるアーヴィン・ウェルシュはヘロイン中毒者のメタファーとして捉えているんだって。
来るあてのない電車を待つ人々。彼等は何かが訪れることを期待しながら彷徨っているのだ。
その様はちょうどヘロイン中毒者のようだ。やがて彼等は何を待っていたのかすら分からなくなる
のだが、主人公であるレントンだけが、麻薬に溺れつつも、チャンスが訪れた時には
見逃すまいとするトレインスポッティング・マインドを失わなかったのだ。
我々はGスポッティング・・・。
鉄道好きの女の子。確かに会ったことがない・・・。
でも隠れてるんだ、やっぱり。(笑)>みんみんさん
編み物好き、手芸好きの男の子はいっぱいいるし。
飛行機好きの女の子もいるだろうな。
この前見たお芝居で、主人公の男の人がゲイとか
女装趣味があるとかではないけど、「子供の頃、
花嫁になりたかった。」っていうまじめな台詞がありました。
びっくりしたけど、全然普通。
ここに書くの、もうすでに日課・・・
ペナント型バンドエイドって、ペナント型ハンカチよりは断然
売れそう・・・(笑) でも売れるだけじゃ嫌なんでしょ?
そのへんが難しいですよね。
アートグッズとはいえ、アートであることを目指している以上、
〈もの〉に対する愛着とか思い入れから離れてはいけないと思います。
ティンゲリーは『ニューヨーク讃歌』は、人に、夢を見させ、
話をさせるための作品だと述べています。
ついでに、ブリコラージュをする人っていうのは、
「ものと〈語る〉だけではなく、ものを使って〈語る〉、そして
作品の中に何がしかを残す」人と定義されています。
今、求められてるのは、デュシャンでもウォーホールでも
ないと思うし、何をやっても二番煎じからの脱却の可能性って
そういう〈もの〉との関係性にあるんじゃないかなぁ。
セーラー服のリボン!懐かし〜。結び方で学年がわかるとか
あったなー。コワイ先輩に呼び出されて、いちゃもんつけられたり。(笑)
でも、制服廃止運動って、まさに「解放する反抗」。
今必要なのは、破壊的否定的反抗じゃなくて、まさにこれかな。
すんごく「モード」的に,このBBSは濃ゆくなってきましたね。
ところでぼくは小学生低学年の頃からの鉄道ファンで,
高校3年生あたりで足を洗って(笑),現在に至ってますが,
あちこちの線路沿線で,写真を撮ってました。
たしかに女性のカメラマンってほとんどいなかったよね。
でも思うのだけど,旅好きな女性はけっこういるのに,
鉄道の「ブツ」自体が好きな子ってあんまりいないな。
推測なのだけれど,鉄道好き=オタク=暗いっていう
単純図式が働いて,鉄道ファンは何かしら近寄りがたい
雰囲気を醸し出しているような気がします。
ほんとはそうじゃない人もいっぱいいるのに。
ぼくもほんとは鉄道そのものが好きなのだけど,
そうしたへんなイメージを植え付けられるのがイヤなのと,
移動手段としての鉄道にそこまで熱をいれなくてもいいと思って,
いまでは遠のいてしまいました。(多感な高校生!?)
あと,いろいろ新車や改造車が続出して,
JRの企業くささが露骨に表れたのもイヤでした。
でも,今まで会った女の子のなかでは鉄道自体好きな人もいて,
世の中そんなに狭くないなあって思いました。
女性は実用のあるものに走りやすいと言いたくないけど,
食べ物目当ての旅行好きな女性はいるが,
鉄道のハコ好きな女性は少ないことが,
なぜかしらそうした様相を示唆してるような・・。
ああ,結論言うのはやめとこ。
みんみん拝
みんみん拝
マスコミを騒がすインターネット薬物事件関連ページの紹介。
僕の取っている毎日新聞など、まさにWebに対する偏見の固まりですので、
大変興味のある所です。これレス返さなくていいよ。
美智子交合(事件について)・ドクター・キリコ診察室「生活情報ページ」提供
むかし僕が中学1年生の時、制服廃止運動をしようと思ったのです。
それで全校集会の時、全学生に向かって支持者を募ったのですが、
500人中3人ぐらいしか集まらなくてショックを受けました。
その時の教師連中のザマーミロという顔が忘れられません。
みんな普段から制服への不満を募らせていたのに、こういう時だけ黙ってる
なんてずるい!と、その時は理不尽な思いと恥ずかしい思いでいっぱい
だったのですが、そーか、それはモードのせいだったのだ!
制服は嫌だったけどボンタンにも興味が持てなかった僕は、その辺で
すでにズレていた訳で、まだまだ青かったのね。
制服で思い出したけど、僕らの頃はルーズソックスはなかったのですが、
女の子はセーラー服のリボンを色々バラエティー豊かな結び方をしていて、
あれは面白かった。
ファッションと同義に使われる「モード」という語からは、
現在では独特なニュアンスが感じられますが、もともとは「様相・様態」という意味であり
、簡単に言えば「モードチェンジ」とかでいうモードから来ています。
ステレオアンプとかについているジャズモード/ノーマルモードのモードですね。
つまり、他者に対しての演出された外見のモード(様相)。
そこでは、自己とは「他者」に見られる「不特定多数の他者」の中のひとりであり、
他者との「微妙な差異」こそがモード足り得ます。
だから、いわゆる芸術表現と違って、モード・ファッションにおいては
突拍子のないデザインでは、格好悪いのです。他と遠くないが、微妙に違う。
それが「格好いい」となってしまうわけです。
また、こう言うと、先程の「いわゆる芸術表現と違って」というのに矛盾しますが、
社会においてモードから逃れることは不可能であり、衣服だけでなく、アートすらも
モード化されます。それは作家個人の志向とは無関係に、社会の装置としてモード化
がされてしまうのです。そしてアンチ・モードすらもモードになってしまう。
モードを分かりやすく定義するとこうなります。
よいから流行るのではなく、流行るからよい。
モードとは、あらゆる記号が相対的関係におかれるという地獄である。
「ナウい」という言葉が古臭く聞こえることはモードの特徴をよく表していると言えます。
「モダン」もそう。
ところで「文化」という言葉もそうだったみたいですね。
「文化」という語は第一次大戦後に出来たらしいですが、当時、とてもハイカラな言葉として
もてはやされ、流行ったらしいです。そして流行にあやかって「文化住宅」や「文化包丁」という
名称に使われた。それが時代を経て、不思議な時間感覚を伴うニュアンスが含まれ、
今のような聞こえ方をする。
ところで、このBBSって、書き込みが多いので、昔のネタがどんどん遠くへ行ってしまう。
モードの縮図をみるようです。
やはり、そこに行ったという証として、ちょうちんはあるんですね。
そんで、男の子のモノへの執着と女の子のモノへの執着を比較すると、
男の子は、そこに行ったという、まず場所ありきということに対して、
女の子がプリクラとかして喜ぶのは、友達がどれだけいるかっていう
まず、人ありきって感じがしますね。コミュニケーション優先って言うか。
両方、証は証なんだけど、対象が違うっていうか。
それと、収集と展示の関係についても気になりますね。
僕らペナントに興味を持ったのは、収集欲と展示欲を両方そそるモノ
だからなんですね。収集しても展示しなきゃやっぱり美術として
不完全なん感じがするもん。
展示=ディスプレイって動物の威嚇誇示と求愛誇示から来てるって
ものの本に書いてたけど、動物にとって収集ってどういう意味を持つ
んだろうか。
もちろん、実用品に付属する飾りとして筆箱にせよ、バンドエイドは
進化したんだろうけど、実用から遠くなればなるほど、美術としての
付加価値が出てきて面白いね。ほんとにそれは共同幻想を基盤に
成り立っているっていうか・・・。
>みんみんさん、牛乳瓶のふた今度機会があれば持ってきて下さいね。
>川村さん、テストご苦労様です。
「彼女の19番目の足」はホント面白いですね。
この前、文化鍋に来てた安藤忠雄事務所の人は、曽根裕さんの後輩で
水戸のビデオクリップに出てましたよ。
僕は、ミュンスター彫刻プロジェクトに行ったんですけど、
曽根さんのハッピーバースデーの作品も笑えた。
日本人で最もはじけた人ですね。やっぱり。
フデバコ!
流行りましたねー。僕も8面ぐらいある奴持ってましたよ。使いもしない
フデバコの機能をあれこれ調べて買いました。考えてみると、
このフデバコのスペック(?)競争で盛り上がった子供心は、大人になっても
やはり健在で、うちの研究室でもいい大人がパワーマックのG3がどうのこうの
とか、イラストレーターの8は7と比べてどこが違うかだとか、そんなに
たいして使いもしないのにえらく盛り上がります。しかしこういう話題に
年齢差みたいなのはあまり感じないのですが、性差が明らかに存在する
ことが面白い。
そう言えば以前、京阪の路線電車が廃線になる直前、別れを惜しむカメラ
小僧たちが三条通に数多く出没していたのですが、少年から老人まで、
年齢は様々なのに、女性が一人もいなかったのが印象的でした。
みんみん氏は元電車小僧(だったっけ?)としてどうお考えですか?
> 女の人のリアリティは価値(この場合実用性)に直結していて、
> だから男の人の方がロマンティスト。とかっていう結論には絶対
> 達したくないので、また考えます。
これは同感。「価値が有る」事自体を問題にしているのに、モノの
価値のあるなしに言及するのは矛盾してるし、ステロタイプな結論から
学ぶ事は無いです。何かもっと意外な対立軸が隠されているような気がする。
ところでモードって何なん?作ったりできるの?
ぼくが小学校時代(80年代初頭),牛乳瓶のフタが爆発的に流行ったけれど,
それはメンコの道具としての機能でした。
給食が終わったら本でフタをたたいて平らにし,
メンコをつくっていたわけですね。
その場合の価値っていうのは,おそらく実用性に大きく傾いていたと思う。図像的にいろいろコレクトしたっていう記憶はないから。
じつはそのメンコ,今でも(たしか)うちにあって,なんだか粗大ゴミのようだな。
男の子でも,けっこー「じっさいに使えるもの」としてなにかを
集めていたような気がするな。
みんみん拝
昨日ちょうちん(地名の入ったやつ)を集めているというおじさんに会いました。
何故集めているかというと、やっぱり「俺はここに行ったんだー」という
証明らしいです。飾ってるか聞くと、飾ってないって。(笑)
たたんで置いてあるだけで、満足なんだって。おかしいよ、やっぱり。(笑)
だって最終的にバンドエイドは使っちゃうんだよ。「女の人でも
化粧品おたくの人とかいるやん」と言われましたが、それも使うから。必ず。
男の人には、女とは違う物に対する執着のようなものがあるのでしょうか?
牛乳瓶のふたがゴミかゴミじゃないかって実はすごく難しいことで、
相対主義の極致ですね。共同幻想の話もよくわかります。
ものの存在性って、物理的にあるかないかじゃなくて
その人がリアルと感じるか感じないかにあると思います。
価値(=共同幻想)も同じことなんじゃないかな。だから、
牛乳瓶のふたやペナントは、私にとっての重大事ではなかったし、
私の関わるものとも思えなかったので、よくわからなかった。(笑)
女の人のリアリティは価値(この場合実用性)に直結していて、
だから男の人の方がロマンティスト。とかっていう結論には絶対
達したくないので、また考えます。
>Proxyって何ですか?誰か教えてください。
うちから書き込めなくなったのはそれが原因のような気がする・・・。
http://www.jsdi.or.jp/~sakiko/nikki.html書生様
今日の経営システム分析のテストが終わったら、やっとゆっくり寝られます。
でも、また明日からレポート準備と発表準備。本当ののんびりは2月5日の夜
からです。でも、今夜はワインを飲もうっと。
山宮様
そうですか、「る」が最高でしたか。なんだかな〜。困ったな〜。
あ、そうそう、バナーなるものはありませんので、今、でっちあげております。
そのうち送ります。そしたらつけてください。ほほほ。
三木様
ヲノサトルさんは知り会いです。ヲノさんを紹介してくださったのはNTTの
榊原君と明和電機の副社長。というか、ルパン・サンセッツを一度聞きに行っ
たのでそのときになしくずしに、という感じでした。ヲノさんの友人の音楽家
とか作曲家が私の知り会いってこともなんだかんだとあることが後にわかりま
したので、いつかどこかでお会いすることになっていた人ではあったのでしょ
う。でも、ヲノさんがこちらを確実に認知しているかどうかは疑問です。副社
長を紹介してくださったのはEVこと細馬宏通さんとその奥様の YUKO NEXUS6
さん。お、元をたどると関西からの流れだな。
WINDS CAFE は、「客が私一人だったとしてもやってね」というお願いで出演
してもらっている遊びです。本来は我が家が広かったら我が家でやってること
なんですが、そんなに家は広くないし、WINDS GALLERY というすばらしい場所
を格安で提供してもらっているので、当分このまま続けられるでしょう。ちな
みに、基本的には私が会場費を負担しているので、オークションのアガリはそ
の上乗せということになっています。
黒沢さんの会はとてもすごかったです。その片鱗はここで読めますのでご覧あ
れ。11/29のところに載っています↓
女の子の「バンドエイド」っておもろいね。
いろんな柄のバンドエイドは、傷口に貼る一種のメディアだったんすね。
いや、傷がなくても貼ってたなあ、確か。
いろんな図像をプリントするTシャツに近いのだろうか。
小学校や中学校の頃って、学校の規則をかいくぐって、様々なメディア/モードを
作り上げてたよね。あからさまな玩具じゃ、学校に持ってこれないけど、筆箱として、
消しゴムとして、ノートとして、それぞれに機能していながら、しかも遊べる。
大人もそれにあやかって、学校に持って行ってもいい、実用品に潜ませた様々な玩具開発をしたんだと思う。
そういや、小学校のとき、男の子の間では、やたら機能がいっぱいついた筆箱がはやったよ。
ボタンを押すと、バネ式で鉛筆削りが飛び出したり、ルーペがついてたり、結局使わないのに
機能がたくさんあることだけで魅力があった。当時、カンペン(懐かしい言葉!)なんて
薄っぺらなものは格好わるくて筆箱と思ってなかったからね、真剣に。
ちなみに僕の持っていたデカダンな筆箱は、変型して本立てにまでなったんだけど、
変型するときのバネの力が強すぎて、よく鉛筆の芯が折れてました。
今度、昔流行ったものを持ち寄ろうよ。研究会すんの。
ところで、牛乳瓶のふたは残念ながら、うちの学校では市場が成立していなかった
ため、ゴミでしかありあませんでした。
ゴミと価値有るものってほんと紙一重ですね。
ペナント自体の質はなんら変わってないんですよね。
それを自慢する市場がなくなってしまった。つまりモードですね。
モードはメディアが作り上げているんだけども、ファッション雑誌みたいに
ペナント雑誌つくるとよいかなあ。
ところで、三角のペナント型バンドエイドなんてどう?
そうそう、牛乳瓶のふたはゴミじゃないよ。少なくともその当時は(笑)
それより、ペナントも価値(=共同幻想)がなくなると、いっきに
ゴミ化することは確かだね。その精度うんぬんじゃなくて。
美術作品も基本的に実利的に役に立つもんじゃないから、
価値(=共同幻想)がなくなるといっきに役に立たないモノになっちゃいますね。
それを逆手にとったのがデュシャンだと言えるでしょうね。
美術館という価値を保証する場に入ったら、みんな美術作品じゃないかってね。
牛乳瓶のふたでも(笑)
だから、そのモノの価値を高めるには、共同幻想もつくっていかなくちゃならないってことじゃないのかな。
だから僕らも新しいペナントを作ると同時に、いかにペナントがすばらしいか訴えていかなきゃいけないんじゃないかしら(笑)
植木等的大ボラが必要ってことでしょう!
ちなみに、今度文化鍋常任委員(笑)で、21世紀ペナントである宇宙ペナントに先駆けて地球ペナントを作ろうって言ってます。
来るべき21世紀の観光旅行のために、宇宙ペナントは必ず作られるはずですから(笑)月ペナントとか、火星ペナントとか・・・・
みなさんもアイディアがあれば超募集ですよ。
文化鍋カルタは、50音終わるまで続けようぜ>山宮くん
三木です。
私の仕事場「臨床試験受託機関」(笑)のコンピューターからBBSに書き込めることを発見。見るだけのフラストレーションから解放されました。
この前の文化鍋会は、口伝てなのに思った以上に人が来てくれたんだけど、よくよく日本にはアートに関して集う場が少ないなぁと実感してます。
展覧会ももちろん重要なんだけど、欧米ではその倍以上に話し合い、飲み合う場があります。そこから新しい出会いや創作のきっかけができていく場合も多々あるのだと思います。
山宮くんや僕の心の故郷であるジーベックも今までのような活動をしなくなるし、プラット・ホームのような場がますます必要とされているような気がします。
それで、川村さんの活動で、WINDS CAFEというイヴェントとパーティーとオークションを定期的に開催されているのは、ホントにすばらしいことだとHPを読んでて思いました。しかも無料なのにチャリティー・オークションで会場費を支払えるなんて画期的だと思います。東京に行く機会があれば、是非行きたいと思いました。
大阪に来られる時は、是非文化鍋しましょう。
僕としては、黒沢伸さんの自転車操業トークにすごく興味をひかれたんですかけど、どうだったのでしょうか? >川村さん
ちなみにヲノサトルさんは、僕のIMI時代の先生です。川村さんお知り合いなんですか?
>てぃんげりぃ山本さん
お会いできてうれしかったです。酔ってたんで、ペナントをネタに突っ込みまくって失礼しました。そういうキャラなんで許して下さいね。ちなみに、山本さんはプレゼント・プロジェクトのメンバ−に勝手に入れられているので継続して考えてくださいね(笑)
牛乳瓶のふたにもいろいろ有りまして、みんなで集めたり交換したり
していたのですが、やはりコーヒー牛乳の茶色のやつや、珍しいメーカー
の物は交換レートも高かったですね。
ジョシはあんまりそういう事しなかったのー?
女の子が物自体にではなく、その物の手に入る過程や物にまつわる
コミュニケーションにこだわるというのは面白いね。
つまりこれを強引に美術に当てはめると、市場が、作品その物の価値に
先行するという、あの晩の野々村文宏氏の朝までガムラントークでのテーマと
(しかし毎晩これとはIMI恐るべし。)
ぴったんこですが、ここで問題は、数ある可愛い物グッズのなかで
なぜ女の子をバンドエイドを選ぶのか?
または男の子はどのように、牛乳瓶のふたを交換するのか?
なぜペナントが消えたのか?それは自慢にならなくなったから=市場の不成立
であって、決してペナント自体の完成度が落ちたからではありません。
もしくは女の子の自慢のバンドエイドもバンドエイドだからいいのであって
ピカチュウのサロンパスを作っても駄目なんですね。(いや?オバ受けはするか?)
せっかくアートグッズ作るなら、そういった事もクリアする、学問的に
有意義かつ大儲けが期待できる事したいです。もっとデータ求む!
この辺ですでに植木等的大ボラですが。
野口さん久しぶり、かつてジャジーなピアノで鳴らした腕は健在
でしょうか?勉強忙しくてやってない?ティーバッグの名刺が印象的でした。
あ、何でガムラントークというかというと、書生氏によると重層的な
話題の微妙な差異を伴う繰り返し、心地よく寝ながら聞ける所だそうです。
川村様。反応してくださってありがとうございます。「る」が最高です。
Error出しつつも書き込めました。
全ての文句は三木までm(__)m
このBBSはProxy通すと書き込めないようですね。
これTestですけど。
おはようございます。てぃんげりです。
文化鍋、楽しかったです。みなさんどうもありがとうございました。
次は朝までいられるように覚悟していくとしましょう。
それにしても、ペナントであんなに責められるとは・・・(笑)
何をコレクションしていたかで思い出したのですが、
うちの村では、女の子の間でバンドエイド流行ってました。
キティちゃんとかキキララのかわいいやつ。でもこれは、
どっちかっていうと、プリクラやトレーディングカードと
同じで、コミュニケーション・ツールの一種ですね。
男の人にも何集めてたかいろいろ聞いてみたら、
スーパーカー消しゴムとかチョロQとかガンダムのプラモ
っていう普通の人もいたけど、牛乳ビンのふたとかプルトップ
っていう、わけのわからないものを収集している人がいて面白かったです。
それってゴミじゃん。と思ったところで
去年話題になってたディオゲネス症候群のことを思い出しました。
ゴミ屋敷に住む老人が「これをゴミじゃと思うおまえらがおかしい。」
と言ってましたね〜。すごいアイロニーじゃ。
ひとりぼっちの事務所。
寂しいのでBBSを見たら川村さんのご返事。
う〜ん。なみだがでそうです。ありがとうございます。
睡眠2時間ですか?僕もがんばろう。
http://www.voyager.co.jp/aozora/cards/akutagawa/gesaku.html東京者としては、なかなか飛んでいけませんが、いつかお会いしましょうね>鍋の方々
>仕事場の書生様
ここ数日私は23時に寝て1時に起き、一日一食でございます。とりあえず火曜が
終わればいったんゆっくり寝られますが……。
「美藝公」はたいへんすてきな本ですので、ぜひお読みくださいませ。
それから、芥川龍之介の「戯作三昧」も、併せてお読みくださいませ。
青空文庫版戯作三昧はこちら↓
三木くん、アート「会」って…。
でも界よりぴったりだね。
なんかお楽しみ会みたいで楽しそう。
三木くん、GPODの皆さん、お世話さまでした。
はじめてお会いした方々、今後ともよろしくお願いします。
うーん、ほんと時間軸や重力を超えた場でしたね。
特に野々村氏のミッドナイトトランスガムラントーク(ガムランの話ではない)。いっちゃいました。
今は仕事場です。徹夜ですな。
早く解放されて、ゆっくり余韻を楽しみたいです。
美藝公読んでみます。>川村さん
GPODのみきまなぶです。
みなさま、昨晩はご来場ありがとうございました。
なんだか、参加者までたくさん手伝っていただいて申し訳けありませんでした。
ほとんど、チラシなんか作ってないのに、すごいいっぱい
人が来てくれて嬉しかったです。
毎月ぐらいできればいいなと思ってますので、
料理のできる方や、パフォーマンスしたい方など、
名乗りを上げてくださればうれしいです。
アート会も狭いので、いろんな結びつきがあって面白かったです。
この人とこの人は知り合いだったんだ、とか。
チラシなども置けるスペースを作ろうと思いますので、
がんがん持ってきてくださいね。
よき出会いに感謝!
では、みなさま、しばらくはネット文化鍋=PROPELLA BBS(笑)で
お話しましょう。
ちなみに、朝まで文化鍋は続いていました。
お祭りの基本は、朝までですよ、やっぱり。なんて。
http://paper.cup.com/昨晩はお世話になりました。というかお邪魔しました。
楽しい催しを企画いただいた皆様によろしくお伝えください。
釈永も喜んでおりました。
22日(金)夕、八木さんの講演があります。
釈永作品の方はスライド投影なので、大勢いると見られません。
定員10名くらい。作品鑑賞は別の日か、
当日早い目にお越しください。
CASへの皆様のお越しお待ちしております。
みなさんにお会いできて楽しかったです。みんなまだGPODで寝ているのだろうか?
それとももう起きた? また京都にも遊びに行きますね、展覧会のご案内も
いただいたことだし。時間が会えばBRUCEさんも紹介します>yamamiya氏
それとどこぞにまだレレレグッズもあると思うので、また探しとくわ>書生さん
また鍋行かせてくださいね>三木さん
ほんと楽しかったです(^^
こんばんは。
芸大音卒の野口です。
久しぶりに覗いてみました。すごい話が展開されていますね。
しばらくアートとは離れていたので、
最近ちょっと戻りたいなあと思ってます。
GPOD文化鍋はいつまで続いてるんだろう?
三木様
GPODツアー、ありがとうございました。
思ったよりお部屋がたくさんあったので、びっくりでした。
でも、GPODみたいな空間が大阪にあるのはうれしい。
山宮様
赤の蝶ネクタイ、似合ってましたね。
これで山宮さんも立派なシノバーのバーテン(?)
書生様
あのペナントは黒地で渋い感じ。
で、全部で何枚ぐらい持ってはるんですか?
私も、きっとお土産屋さんの前を通るとペナントを探して
しまうような気がします。
http://member.nifty.ne.jp/tatsutoshi_kawamura/へ:ヘイユーホワッチュアネ〜ム左とん平
と:トルメキアテトユパクイカイ巨神兵
ち:チルドレン群体だから一人称
り:リキテンスタインはマンガmotもだ
ぬ:脱がされて今度は前をクラインブ
る:ルーで塗られちゃって女拓とられたの
を:ヲノサトル洒落た経理の腕カバー
うーん、うまくできん。
大王様、ただいまチラシとビール券が届きました!
ありがとうございます。
みんなで楽しく飲ませていただきます。
とり急ぎ!!
い:いたづらに朝顔立てしR.MUTT
ろ:ロシアにて舞ふ指をかしテルミン博士
は:はかなさや位相-大地の須磨の跡
に:にせ金の線見づらくなり老人力
ほ:ほくろより色づれ鮮やかマリリンの笑み
なんか熱いメールの跡にしょーもない話題ですが「ニコリ」誌が、群馬県民
が郷土愛を込めて作った「上毛カルタ」の特集をしてて、それによると、
群馬県民は普段から「上毛カルタ」のフレーズが口癖になってて、東京に
出るとみんなに通じないのでショックを受けるそうです。
あとはみんなで考えてね。
美藝公という小説がありますね。いい本です。
おー、山宮くんすごいね。月に一度は取材か!
最近「有名性」について興味があるのですが、メディアを操ることもぜひ作品に
生かせるといいですね!そうそう、うちの旅館のアングラ妻のお母さんも
山宮くんのことテレビで見て知っていたそうですよ。
ミーハーな話になりますが、おととい、うちの旅館にEL-MALOのお母さんが来られました。
といっても、僕はEL-MALO、殆ど知らないんですがね。名前は知っていたので有名なバンドですよね。
金田さんという気品のあるおばさんで、うちのヒッピー女将の友だちなんだって。
で、芸能人のお母さんということは置いておいて、
この人としゃべったら、とっても素敵な話をしてくれて感動したんです。
彼女は主婦なんですが、ある縁から、明治時代に日本に訪れ、美術品や民具などを収集し、
フェノロサとともに日本の美術制度(美術史)に多大な影響を及ぼしたとされる、
モースやビゲローに興味を持ち、アマチュア研究家としては第一人者とも言われるまでになったそうです。
彼女は学者じゃないので、調べたことを論文に書いたり本にしたりしていないのですが、
特にビゲローとの運命的な出会いを、本当に楽し気に語ってくれ、
大学の講議より数倍魅力的で、内容のつまった話でした。
ただ、話のデータ量が多すぎて、実は半分も理解できてないので、ここでその内容をお伝え出来ないのですが、
とにかく魅力的な話だったし、何と言っても本人がその話に夢中になっていて、
ビゲローやモースのことを本当に好きなんだなあと思いました。
既に評価されているフェノロサじゃなくて、研究者がほとんど相手にしない
ビゲローが特に好きだというところがまたいい。
うん、ある意味、コレクターのようでしたね。
ということで、勉強不足の私は、これからその魅力的なビゲロー、モース、そして東京芸大の創始者である
フェノロサや岡倉天心について調べたいなあと思っているところです。
彼等は、最近僕が気になっていた、近代化時期に日本の美術という体系を構築した張本人たちでもあるし、
EL-MALO母さんに会って、その話を聞いたのも、これは縁だと思うので、とても知りたい欲求にかられています。
フェノロサ、モース、ビゲローらのコレクションはボストン美術館にあるらしいので、
手始めにそこから調べようかな。誰か詳しい人いたら何でも教えて下さい。
で、明日行きますので、よろしく!楽しみだ(特にレレレのライター?)
http://member.nifty.ne.jp/tatsutoshi_kawamura/なんか長い書き込みをいっぱいしてしまって申し訳ないです。ごちゃごちゃし
てしまったかな、すみませんでした。って、結構楽しんでたりして、あっはっ
は。
>丸山の書生様
レレレのおじさんライターは、いただいたものなのでどこで売ってるのかは知
りません。ごめん。あげてもいいな、と思ってたけど、どなたか買ってくださ
るみたいですから、あげるのよします。
コレクターとしての私のことは、とりあえず、私のホームページとか、
http://www2.gol.com/users/nobg/Collecter-3-1.html
とかを読んでください。疑問がありましたらどうぞご質問ください。
へたなこと言えないって、そりゃなんですか? 私は糾弾するのじゃなくてち
ゃんとしなよ、と言ってるだけです。ふふふ。
>三木学様
ホームページお読みくださってありがとうございました。さっき更新しました。
書生さんや山宮さんへのレスになるかもしれないけど、結局枠組みという発想
は当事者じゃなくて分析者・観察者の視点なんだ、ということを言いたいわけ
です。小松君はあの場合、作家だったわけですから、当事者のはず。その当事
者が、なにを引いたパースペクティブで語るかな、というところにひっかかっ
たわけです。創るという行為は、主観的かどうかなんていうことより、主体者
の意思決定の連続なのです。
分析なんつーことの前に、創れて創れてしょうがないとか、のっちゃってるの
よ、とか、大発見! とか、そういう想像の神様が降りてくるような人々こそ
が作家としてのライトスタッフをもらって生まれてきた人なのだと思うのです。
努力すればみんな作家になれるなんてばかな話はない。人生だれでもが芸術家
にって考えは、かならずしも美術の文脈とは限らない。1個だけすごく素敵な
ものが創れたとしても、そのあともできるとは限らない。作家って、そういう
悲しさを抱えながらも、つまりびくびくして未来を見ながらも、今あふれる創
作意欲におぼれそうな、幸せな人だと思うのです。
勉強して、学んで、美術なり芸術なり音楽なりを「創ることができる」と思い
込むのはやめた方がいい、と、私は多くのどうでもいいものを創っている人に
言いながらここまできました。したければやってもいい(その自由は保障され
る)けれど、創ったものがなんなのかは、他者との関係において定義されるも
のであり、作家がいくらこれは芸術だといっても無駄なのです。
すごいものはすごい。これを客観的にすごいと記述することも示すこともでき
ない。年表にのったすごい作家は、それをすごいと認めた人々の記録と言い換
えることもできるわけです。
遊びや文化の創造を行ないたければ、協同作業、市場分析、マーケティング、
宣伝広告、会議、バージョンアップ、報道、記述、なんでもやってOKでしょ
う。それは他者との関係を先に考えた行動であり、それは社会的活動であり、
そして成功しなければいけないというベクトルを内包しており、認められるこ
とを目的の一つにしており、最後に発信者の意識の方へ見るものをいざなうこ
とを隠れた使命としてもっています。
普通、そういうことを、「事業」といい、「研究」といい、組織的に行なう場
合は経営というわけです。
芸術は、その経営に真っ向から対決するものであり、生き方そのものに関わる
問題であり、少なくとも創り手は他者ではなくこの世の外と対決あるいはそれ
に捧げること方向へ向いていなければ変です。神なのかグレイなのか死霊なの
か真理なのか悪魔なのかそれは人によって違うでしょうけれども、芸術かどう
かを他者に頼らずに検証する唯一の方法は人間でないもの、あるいは人間社会
以上のものとの対峙比較によるしかありません。人間社会における有益なもの
は芸術ではないと言ってもいいかもしれない。己が人間という社会的存在では
ない、もっと大きくてすごくて口にできないようななにかと接触するようなと
んでもないことに遭遇してしまう、それが芸術なのです。
そういうことができてしまう瞬間は誰にもあるでしょうけれど、自分の創った
もので他人をそうさせてしまうようなものは、狙って創れるわけが無い。そう
いうものが「できてしまう」だけで、もっと言うと、作家の体を使って別の何
かが創ったものなんです。
ふう。
だから、芸術と経営が仲良くするってのは、ものすごく矛盾したことをどう同
一化するか、という問題なのです。それは、生き方で示す以外、ない。たとえ
ば、こういうことです、ジョン・ケージを理解するのではなくて、ケージを生
きること。私がケージ研究者でなくてケージ・ファンだと言うのは、そういう
ことです。
多くの作家にあいましたが、「さりげなく命を投げ出している」人は稀です。
しかし、そういう人の作るものはとんでもないものだったりする。そういう人
は別に他人の顔なんか気にしてなかったりする。でもすごい人は、ほっておか
れないのです、現代では。隠れることができないくらい、「まわりがほってお
かない」のです。
金と芸術の関係を、まったく気にしない人だけが、芸術家なのであって、そう
でない人は芸術家をサポートする人にならなくてはならない。というか、そう
しかなれない。私は、だから芸術家ではない。でも、凡百の芸術家気取りの人
よりは、私がやった方がましなことはものすごくよくあるので困ります。
さあ、風呂敷きを広げ過ぎたので、この辺でおしまいにしましょう。若い人へ
の注文なんか、一つしかないです。つまり、感激と感動をいっしょにするな、
ということです。かっこいいことは感激、感動とは打ちのめされて血祭りにあ
げられ人生観を根こそぎ変えられてしまうことです。そういう体験がないうち
は、「芸術にあこがれてる」だけです。
じゃ、またね。
何という太っ腹!
結局ギャラリー白川ってどういう所か、わかったんですか?
なにはともあれ、近所で見れるなんて嬉しいです。
宣伝。パズル情報誌「ニコリ」にインタビュー載ります。
「Big Tomorrow」もそのうち発売になると思うので、出たら立ち読み
してください。展覧会の予定はさっぱり立たないのに一ケ月一度は必ず
取材が有るんですよね〜。自慢やけど。これを仕事に生かせない物か...
そう言えば僕も大学1回生の頃フリーぺーパー作ってました。京都芸大の
連中以外では同志社で演劇やってるやつとか落語家の卵とか、僕も幻想的(?)
な漫画かいてました。その中で一人今年のマガジンの新年号に採用されまして、
松田望です。うーん何だか嬉しいねー
プーさん僕はそれなりにML楽しいですよ。ドクター中松研究MLなんかもっと
少ないです。
私のリンク集のページも、少し数が増えてきたし、グルーピングでもしたほうが見やすいだろうと、
かなり強引にも、こちらのBBSと川村さんのページを「熱い」ページとして、
同じグループにしたことが、こんなことになろうとは!
青年芸術家連絡会議(仮)の皆さまと、川村さんの双方にとって、
よい出会いとなれば、きっかけをつくってしまった私としても嬉しいです。
<山宮様、三木様
こんにちは。
こちらは、連休とともに「老人力強化週間」に突入しています。
昨日、京都のギャラリー白川での「光の感覚体験ワークショップ」の
日程が決まりました(2/28〜3/6、午後5時〜9時の間)。
そのお知らせ、戻ってきた年賀郵便などをまとめて文化鍋会場に
宅急便で送りますのでよろしく。
これには事情があって、三木さんに昨年送るといったまま、
当方の老人力増強とともに未送になっているチラシ類を送ること、
祝!全国青年芸術文化振興鍋、への差し入れ(ビール券5枚)を同封すること、
などを一挙に済ませてしまおうという魂胆です。
(無精と吝嗇は、老人力のめざめ??)
*
16日午後にGpodに到着するように指定しますのでよろしく。
楽しい会になるといいですね。
書生さん、文化鍋いらっしゃいます? 来るんなら今日、ライター
探してこようか? バカボングッズのあるところはかなり把握して
います、わたし。これから天保山方面行くし、そこのショップにも
あるはず。出版社の連絡先教えてくれたお礼にプレゼントしましょう。
それから、パルコのロゴスってなくなったの? めったに行かないけ
ど、結構ディープな本もあったのにね。最近のわたしのお気に入りは
難波ジュンク堂、1階のサブカルやアンダーカルチャーの充実してい
る一角です。
では天保山、行ってきます。時間あったらサントリーミュージアムの
バカラも見て来よう。
今日の新聞の一面にでかでかと載ってました。今回の芥川賞は23歳の京大生
平野啓一郎氏だそうです。修道士の修行がテーマらしい。
前回の花村萬月「ゲルマニウムの夜」もエロ・グロ・キリスト教の話でしたが、
読んだ人居る?これは結構いいです。
今月のスタジオボイスに花村氏のインタビューが載ってましたが、「小説を
始めたのは金もうけの為だ」といい切ってて、うーんかっこいいな〜
赤塚で印象に残っている漫画は、やはり「ニャロメの性教育」(タイトルうろ
覚え)ですね。これは一時あった教養漫画ブームの時に出た本なのですが、
タイトルそのまんまバカボン一家など赤塚キャラが性教育をしてくれるのです。
「サザエさんの性生活」の謎は良く挙げられますが、バカボン一家はその辺
ちゃんとフォローしてる訳なのだ。
青年会議参加要綱
といってもこのBBSはすでに事実上青年会議(=文化鍋/ほぼ同意語)に占領
されている状態ですので、そのまま楽しく投稿を続けてくだされば、いつの
間にやらあなたも青年です。ちゃんと顔を見たい時は、ここに投稿される
文化鍋奉行の三木学氏の情報を参考にしてください。
老年文化連絡会議というのは良いですね。今からネタ考えておきます。
三木さんFAXどうもありがとうございます!
明日、楽しみ〜。みなさん、どうぞよろしく。
さっき妹が、沖縄に旅立ちました。そして、これから
友人を関空に見送りに行きます。みんなしばらく帰ってこない・・・
でも空港は大好き。いろんなものが交差している気がします。
いろいろ見てこようー。
三木です。
文化鍋の後、やる気がある人がありましたら、コンセプチュアル・カラオケ
あきメロ大会しましょうか?
でも、10時半くらいに文化鍋が終わりますので、朝までコースに耐えれる人
だけだけどね。
参加するみなさんどうですか?
ちなもに、GPODは宿泊できるのがウリですから、帰れなくなったら泊まって
いただいて全然OKヨ。ふとんもいっぱいあるし。
>山本(麻)さん、FAX届きました?名前間違えてしまいました。ごめんなさ〜い。
三木学です。
川村さん、はじめまして。
僕は、今、写真を表現の媒介に使っています。
僕も現代美術の枠組みはあると思っています。
でも、現代美術というのが、欧米でいう「FINE ART」と明らかなズレがあると
いうことを前を置きした上で、「FINE ART」の枠組み=制度はあると思います。
芸術は、もちろん、利益目的の経済活動ではないし、スポーツでもないので、
数値に還元することはできません。しかし、そこで行われているのは明らかな競争で、
何の競争かと言うと価値をめぐる競争が行われているわけです。
その価値の基準を定めるのが、キュレーターなり、批評家なりなのだと思います。
そして、その価値が不動のものと定まると美術館に入っていくという構図でしょう。
その権威がグリーバーグに続く、アメリカの評論家たちであり、近代美術館であるの
だと思います。今では、世界的に認められている抽象表現主義なども、その成果でしょう。
その後、価値が決定されてると、体制にあり権威になっていくので、それに反対する
反体制運動が行りますが、その運動も制度そのものを崩壊させようという方向と新しい
制度をつくろうという方向と二つあるように思います。
どちらにせよ、枠組み=制度なき競争なんてないわけで、作品のよしわるしをどちらでもよい、
とか、個人の好みだとか言い出したら、勝手にやってなさいというように
なるわけで、見せる必要性がはなはだ疑わしい作品になります。
それに美術市場というものがあるわけですから、その値段の設定は価値競争
によって決まってくるものだと考えると、経済原理から言ってもも制度は
あると言えるしょう。
その価値決定の制度の構造について、最も早く明らかにしたのがマルセル・デュシャン
なのだと思います。それが、かねてから山宮くんとの話で出ていた自己言及というもの
でしょう。ジョン・ケージは、音楽において、音楽自体について問うた人だと思いますが、
そこに創造的な聴取という能動的な聴取者のあり方を提出し、哲学的な局面を
導き出したことが、ジョン・ケージが思想家と言われる由縁なのではないかと
思っています。
青年芸術家連絡会議(仮)については、フルクサスやより政治的な未来派など
のような政治的な意図をもった団体やグループなどではぜんぜんありません。
これからもそのような形態はとらないでしょう。個々の表現をより刺激的に
高めていくためのネットワークだと思っています。
ダダイズムやフルクサスは、特的の政治意図があったと思いませんが、
その個々のアーティストが集まることによってより刺激的な実験がなされ、
結果、多くの優秀な独立したアーティストを排出したことは、特出すべき
ではないでしょうか。
ですから、青年芸術家連絡会議(仮)は、実体や主体などないので、参加
というのもなんなのですが、じきにHPやMLは作っていこうと思いますので、
その時は告知したいと思います。
当面、この BBSが連絡会議になっていると思います(笑)
僕も山宮くんも、小杉武久さんや鈴木昭男さんにひかれていましたから、
川村さんのHPは、興味深く見させていただきました。
現在考えておられる芸術と経営のよき関係についても、いずれお話していただければと思っております。
僕らも若いですから、勉強不足、行き過ぎ等あるでしょうが、あたかかく見守って
くだされば幸いです。
いやあ、正直言って川村さんのキャラクターにはおののきましたよ。
これは下手なこと言えないなあって(笑)。で、ちょっと様子見てました。失礼しました。
前の書き込みで「ニュアンス」だけの問題みたいにまとめちゃいましたが、
たしかにそれだけじゃないですね。
レレレのおじさんライターですか!誰が考えたんだろう。
きっとそれはたばこ用じゃなく、「葉っぱを燃すためだけのライター」なんですね!
奥が深い!(深読み?)
最近、ここのBBSや文化鍋の中で、結構コレクターというものが話題に登ってます。
今まで身近にあまりコレクターっていないので。
川村さんのコレクターとして動機や欲望、考え方って気になります。ぜひ聞かせて下さい。
ちなみに僕は、フリーで展覧会のディレクターをやっています。
作家を集めて、何人かのメンバーで展覧会をつくるのが好きなんです。
グループというのとは全然違います。僕もグループをつくる気はないんです。
あくまで期間限定で、その展覧会に向けて集まったメンバーでしかない。
作家はそれぞれの道を進むわけだし、僕だって、時期によっていろいろなことを考える。
だから一期一会なんです。そういう形なら、集団でのモノづくりもあり得ると思っています。
で、最近考えたんですが、僕はなぜディレクター活動をしているんだろうと。
よくよく自己分析してみると、僕にはコレクターに似た所有欲があるんだと気付きました。
つまり、僕は作品を買うんじゃなくて、コンセプトを持った自分の展覧会において、
その会期中、および準備期間中はその作品・作家を所有している(つもりでいられる)
と言えるのです。もちろん所有欲だけではないですけどね。
とにかく、魅力的な作品・作家と関わっていられることの喜びがあって、しかも
その展覧会をつくることで自分の創作意欲も充たせる。と、こんな感じです。
青年芸術家連絡会議(いまだ仮名)は当然期間限定でしょう。と僕は思っています。
それがどれぐらいのスパンなのかは分かりませんが、
自分たちが「青年期」を終え、次の時期に来たら、
そして社会の「青年期」が終わって、大人になった時
(それを僕(達)は同時に迎えるだろうと思っているのですが)
青年文化連絡会議は役目を終わるでしょうね。
でも、最終的には形を変えて老年文化連絡会議にまでなってたりして…。
ところで、レレレのライターはどこで売ってますか?
こちらもさっそく教えていただきましてありがとうございます
>三木学さん
GPODの場所はわかります。以前、12月の半ば頃、まだキューブ
があるのなら行こうかなとメールしたら、キューブは残ってないけ
ど遊びに来てもいいよとメールいただいたものです。行けなかった
のですが、そちらのHPで地図などわかっています。ありがとう。
んで、もちろん鍋を食うだけではないのは理解しているつもりです。
でもトムヤンクンは大好き!!(^^ 行っても結局ひとり食ってるだけ
だったりして(^^;; それよかチャリンコで無事着けるか心配だなぁ。
住いは西区なんだけどね、ひどい方向音痴で今日もCASの帰り、道に
迷った(^^;;
さて自己紹介をかねてもう一回、宣伝しとこ。アートのMLを一応主催
しています。「一応」というのはメールがあまりに少ないからです(;_;
理由はわかっているんですよね〜。プロの人には物足りない、全くの
素人にはむずかしい(らしい。ちょっと力入ったメールがあれば、参加
してくれてる知りあいたちに、なんかむずかしい話になってるやんと
言われるので)。
でもいいんだ。書きたいから書く。そんな風にやってます。
http://www.yo.rim.or.jp/~hotei/art/art_index.html
さっそくウナギ犬、もとい、赤塚さん特集についてお答えいただき
ありがとうございます>書生さん
できれば編集部の連絡先、教えていただけますか? 問い合せてみ
ます。
ウナギ犬情報っていっても、どこそこでウナギ犬グッズを見たよ、
というようなことです。そんなたいそうなことではありません(^^;
>yamamiya氏
ウナギ犬のHPは
http://www.yo.rim.or.jp/~hotei/
まぁ、グッズといってもだいたいがゲーセンのクレーンゲームなんか
で取ってきたものが中心なんですが、これが案外あるのよ。
あ、それとね、4年ほど前の芸術新潮に「すごいもの」特集(タイトル
も忘れたし、どうすごいのかも忘れたが、たぶん赤塚の発想のアバンギ
ャルドさに触れていたと思う。ふつ〜では想像つかないような組み合わ
せだって、ウナギと犬なんて)に、ウナギ犬が唯一赤塚の作品として
出てた。
その頃、パソ通で知りあったその友人の唇を見て、これや!と思ったのは
わたしでした。最初いやがってた友人も、ウナギ犬のぬいぐるみがついた
キーホルダーをわたしにプレゼントされてから、ぶすぶすと深みにハマッテ
行ったのでした・・・
友人の名誉のためフォローしとくと、ウナギ犬の唇はなかなかSEXYでもあ
ります(^^
☆プー su9c-jng@asahi-net.or.jp
http://member.nifty.ne.jp/tatsutoshi_kawamura/index.htmlいやはや、なんと早いBBSなのだろう、ここは。レスが彼方に。陰謀か。
オーバー・ザ・レ(ス)インボー。
まあ、駄洒落はおいといて、改めて山宮さん、どうも宜しくお願いします。
新居さんに熱いと言われた者どうし、仲良くいたしましょう。
私はコレクターの端くれですが、青年芸術家連絡会議に参加した方が楽しい
でしょうか? もしそうなのなら、なんらかのどうしたらいいのかを
ご教授ください。
で、小松君、ようするにそういうことが聞きたかったのさ。聞けたから、
もうごちゃごちゃ言わない。
さて、現代美術の枠組みなどというものが、あるのかといったら、そういうことを
言葉で聞いた瞬間にその場には「ある」と私は思ってます。普段から考えている
人は、きっと学者か学生か評論家かあるタイプの作家、そして作家志望者だけ
でしょう。コレクターには枠組みなどどうでもいいので。
小松君があまりよく考えてないのに枠組みなどという言葉を使ったのは、
気を悪くしないで欲しいんだけど、「かっこつけたかった」からだと
思います。あるいはマーケティング戦略上のコピーかな。
そんなこと、「死ぬほど大勢の人」が言ってますって、私は既存の枠組みには
入りませんって。だから、なんでそんな「ウルトラ陳腐」なことをわざわざ
「四日千秋」に来てもらいたいだけのために書かなきゃいけなかったのか、
ということが知りたかったわけです。
本気で「枠組み」なんてことをもし考えていたら、完膚無きまでにぶちのめして
くれようと思っていたのですが、残念なことに「やっぱり」考えていませんでした
ね。言葉を飾ったりキャッチコピーやったりするの、もうやめたら?
その場(今回は民家だっけ?)を味わうのに、なぜ西瓜に塩を振るようなことを
して、そいでもって「その西瓜を味わってもらいたいんです」なんて言うわけ?
塩なんでしょ、あなた達のやってることは。そんなの、「サウンド・デザイン」
とどこが違うの?
おっと、また血祭りモードに入ってしまった。えい、もとはといえば、振ってきた
丸山の書生氏、あなたが悪い。だから、一つお教えしましょう、私はレレレの
おじさんライターを持っていますよ。
最後にもう一回小松君に。
>美術系の人たちが特定の集団をつくることについて,
>「個性やアクの強すぎる人が集まったって,いつか潰れるのは目に見えてるだろう」
>という意見を聞くこともあるけれど,全日本満足問題研究会」の例を
>考えてみてもけっしてそんなことありませんよね。
あのねえ、芸術ってウルトラ個人的な問題なんですよ。デザインとは違うの。
だから、「集団で何かをする」ってのは基本的に無理なの。
集まりとは何か、といったら、「一人ですでにすごい人」が、集まっている、
ということであって、それは集まりではあるけれども、集まりを訴えている
わけじゃない。フルクサスはどうだ、って言われるけれど、フルクサスは
マチューナスとイコールでしょ。小杉武久さんだってフルクサスだけれど、
そのスタンスは「フルクサスでもあるし」なのだよ。
その組織が「なければ」活動方針や展開場所や仲間がいない、あるいはその
組織そのものの知名度や芸術度(?)をあげていく、そんな「目的」は
芸術とはなんの関係もありません。ビジネスです。野望です。ヤボです。
集まることの「楽しさ」は、集まってるものだけがわかればいいので、
集まってる組織として何かを外に訴えたかったら、それはもう芸術じゃない。
プロパガンダであり、社会運動であり、多分に政治なのですよ。
私はサロンが好きだけど、芸術家連合体みたいなのってすごく変だと思う。
そういうのは、期間限定のプロジェクトでやって欲しいですね。ずっと続ける
なんてことは絶対無理なんだからさ。変化をとめる力が創作活動と合致する
わけないでしょ?
そうそう、1995年に出たペッパーショップ第二号もイカします。
『ロボットコンプレックス(略してロボコン)』という特集でして、
ぜひ山宮君に見せたいなあ。今度の文化鍋に行けたら持って行きますね。
ちなみに、古賀氏は村上隆氏の加瀬大周宇プロジェクトやDOBくんなどの
プロジェクトにグラフィックデザインの担当もしていたそうです。
プーさん、はじめまして。
うなぎ犬コレクターの友人ですか。いいですねえ。
その何とも収集の難しそうなものに執着するというところが数寄を感じます。
ちなみに僕は現在、京都の八坂神社の上にある旅館で下宿してまして、
少しだけ、そこのお手伝いをしてます。だいたい庭の掃除なんです。
これが結構楽しいんですよ。地面を竹ぼうきで掃くという行為。そして集まった
葉っぱを燃す(これが一番楽しい)。高校以来、外の掃除なんてしなかったので、
ちょっとした喜びの発見でした。そう、それでですね、何が言いたいのかというとですね、
ある日いつものように掃除をしているとき、
一瞬、レレレのおじさんの頭の中を垣間見た気がしたんですよ。
そうか!レレレのおじさんは、何のためでもなく、そうじのためのそうじをしていたのだ!と。
とってもファインな「そうじ家」なんだなあと改めて認識しました。
僕はそれからレレレグッズを集める方向には行きませんでしたが、掃除する度にレレレのおじさん
と同じ気持ちになっているようなつもりになって、何となく嬉しいのです。
ある時などは、玄関を掃いていて、旅館のお客さんが出てくるところに出くわすと、故意でなく、
自然に「おでかけですか?」と言ってしまいました。自分で驚きました。
それで質問のお答えですが、赤塚不二夫を特集していたフリーペーパーと書きましたが、
すみません、厳密にはフリーペーパーじゃないんです。「ペッパーショップ」というもので、
6年ほど前に、当時若干20才の古賀学という人が創刊させた、
クリエーター達のインタビューを載せたフリーペーパーが、発展して、
1994年に雑誌として販売することになったのです。赤塚不二夫特集は、その創刊号。
僕は昔、梅田ロフトの上のリブロで買ったと思います。今でも取り寄せられるかなあ?
そんで、このペッパーショップ。いい出来です。それを読んで、本当に赤塚さんの奥行きを
感じました。また、赤塚漫画をモチーフにした、いろいろなデザイン/アートワークもよい。
編集長はその古賀という人なんですが、雑誌化した時点でたぶん21歳とかでしょう。
執筆している人も、椹木野衣氏、スージー甘金氏、村上隆氏、伊藤ガビン氏、会田誠氏、小沢剛氏などなど、メディアでよくおみかけする人がいっぱい。
それぞれが赤塚不二夫について書いているんです。
赤塚プロの承諾ももちろん取っているのですが、赤塚本人へのインタビューは少し。
つまり、赤塚漫画のように、主役が薄らいで、サブキャラクーが輝いているという構造。
その後、ペッパーショップは、珠玉のフリーペーパーとして伝説化しているようです。
で、取り扱い店は大阪では、先述の梅田ロフトのリブロと心斎橋パルコのロゴスと書いてありました。
ロゴスはなくなったんだっけ。とにかく1994年12月現在なので、今在庫あるかなあ。
編集部の連絡先とかも(変わっていなければいいですが)よかったらメールします。
ところで、みんみんさんは、「ライブ イン ハトヤ」を昔から知っていたのですか?
そればっかりは、僕も何とか手に入れたいなあ。
タモリ(あるいはその周辺)の作成した「ライブインハトヤ」。
その存在は知る人ぞ知る,といったとこですが,
入手が極めて困難で,まだ僕は聴いたことがありません。
でもそのレア的情報,さすが谷本さんですね。
組織をつくることは運営やその器づくりにエネルギーを費やされるけれど,
もっと大切なのはやっぱり組織自体の「質」ですよね。
美術系の人たちが特定の集団をつくることについて,
「個性やアクの強すぎる人が集まったって,いつか潰れるのは目に見えてるだろう」
という意見を聞くこともあるけれど,全日本満足問題研究会」の例を
考えてみてもけっしてそんなことありませんよね。
Gゼミや青年芸術家会議がよい方向に向かうことを祈りつつ・・・。
みんみん拝
三木学です。
プーさん、文化鍋は、僕らの運営しているオルタナティヴ・スペースGPOD
で行います。
16日(土)PM8:00〜からです。
会費1500円と何か一品持ってきてくだされば幸いでございます。
生えび、貝、穴子、かき、肉、チーズ、赤ワイン、酒などがベストらしいです。
場所は、大阪市中央区瓦屋町2-7-6 第二チクシビル 4-5号室 GPOD CAFE
で、TELは、06-4304-6455です。
FAX がありましたら、地図を送りますので、メール下さい。
地下鉄長堀鶴見緑地線の松屋町駅or
地下鉄谷町線の谷町6丁目駅から南方面徒歩5分ほどです。
中央小学校の横にあります。
ちなみに、文化鍋とは、ベタに鍋をするわけじゃないので、鍋じゃないじゃないか〜
と怒らないで下さいね。当日は、トムヤンクンやうどんすきなどが出るらしいです。
あくまで、文化的な、文化に興味を持つ人が集まったパーティーだと思ってください
ませ。
当日来る人は、バラバラですので、顔見知りがいなくても、積極的に作って
ください。よろしくお願いします。
コレクションするほどいろいろ有るんですか?(しかも情報って一体…)
知らない人が聞いたら、変な犬を家中で飼ってる人だと思います。
新居さんのリンクのページで見てみると、何とここは熱いページとして紹介
されていました。うーん。熱いのは僕じゃなくてみんなの事じゃないの?
というわけで川村さん。今後とも熱く語ってください。
川村さんのHPの中に、学生時代にウォーホルの作品と出会った頃のお話が
ありますが、モノとの出会いが理屈抜きで人生を変えるというのはとても
フシギです。
しょーもない例ですが、僕も小学生の時に、日立のMB-S1というパソコンが、
欲しくて欲しくて欲しくて欲しくて欲しくて、
カタログを穴の空くほど見つめたり、ロゴマークを永遠にノートの端っこに
描いたりしていました。MB-S1は、今から考えるとそんなに対した性能でも
無いのですが、しかしそのようなスペックには現われない何かが、自分と
モノの間にあって、きっとそれを取り出そうと僕は作品を作っているのでは
ないかと思います。
余談ですが、もしも押し入れの中でMB-S1が眠っている人がございましたら
連絡ください。究極の8ビット6809をノーウエイトで走らせるエレガントな
回路設計。1MBメモリアクセスを可能にしたマッピング。当時16ビットの98より
も速かったといわれるグラフィックBIOS。MB-S1の特集をしまくってたRAM誌は
廃刊になっちゃいましたねー(オタクがばれるからこのへんで。)
で、枠組みの話ですけど、藤本由紀夫さんが茶道を引き合いに出して(お母
さんが茶道の先生らしい)、茶道と美術がどう違うかって言う話を良くする
んですね。茶道は「道」だけど、美術は「術」だって。道の無いただのワザ
だって、何でこの人はこんなに言い切っちゃうんだろうって思うんだけど、
でも僕はその時反論しなかったからたぶん納得したんだと思う。
>書生さん はじめまして
教えていただきたいのですが、赤塚不二夫の特集をしているフリーペーパー
は、どこへ行けば手に入るのでしょう? わたしは大阪に住んでいるのです
が。もしくは、それの連絡先などわかりましたらお教えくださいますか?
実は友人に「ウナギ犬」コレクターがおりまして、昨夏の京都の赤塚展では
サイン会にわざわざ朝もはよから並びに行きましたし、朝日新聞の、もう
終っちゃったけど「コレクション自慢」みたいなコーナーにもわたしが紹介
して掲載してもらいました(^^;
友人のせまい部屋はウナギ犬だらけです(^^; そんなワケで、フリーペーパー
以外にもウナギ犬情報を知っているかたがいらっしゃいましたら、ここで
(いい?>yamamiya氏(^^;)、またはプーまでsu9c-jng@asahi-net.or.jp
メールいただければ嬉しいです。
ところで文化鍋も参加したいっス。 yamamiya氏も行かれるということな
ので(他に面識ある人いないし)行っていい? 参加希望メールは、どなたに
出すんだっけ? 書き込み多いからわかんなくなっちゃった(;_;
ここでの参加表明だけでもいいですか〜?
あやふやながらも答えることにします。
ひとことで言うなら,現代美術に枠組みは「ない」と思っています。
「社会学者の数だけ社会学の分野がある」という指摘は有名ですが,
まさに先駆的に現代美術をやっている人の数だけ現代美術の方法論があると思います。善し悪しは別にして。
けれども美術に関わる評論を読んだり,作品を見るオブザーバーを眺めると,
訳知り顔で固定的な概念をうち立てる人が(中には)存在する,ということです。そんな概念の固定化をしたってロクなことないのに。
だから現代美術を取り巻く一部の連中が,その本質を見極めないで,
芸術はバクハツ!的な印象しかもたない人たちに「またか」と嫌気がさします。
そうした人たちの意見そのものが「現代美術の既存の枠組み」と言ってるのであって,
現代美術そのものに限定された枠組みはけっしてないと断言できます。
Gゼミに関係なく,僕は西尾邸四日千秋で
場の雰囲気という質量のないものを最大限に浮かび上がらせることを
模索し,音でもってそうしたものを表現しようと努めました。
こういった手法は今後も(Gゼミに関わろうとそうでなかろうと)
模索したいな,と思っています。
小松正史拝
http://member.nifty.ne.jp/tatsutoshi_kawamura/小松君、速やかなお答え、ありがとう。あのときもそのくらい早かったら
問題おきなかったかもしれないのに……。
それはともかく、現代美術に対する概念がしっかりできあがってもいないのに、
「現代美術の既存の枠組み」を云々するという、その態度は懲罰ものだと
思わないか?
私が知りたかったのは、小松君が「自分なりにまがりなりにも」何か現代美術を
こんなふうにとらえているはずの、そのふにゃふにゃしたものそのままでよかった
んだよ。正解を探すのではなく、何をもって四日千秋なりGゼミがその枠組みには
はまらないと思っているのか、その自信の根拠が知りたかったんだ。
あやふやでもいい、たくましく答えて欲しい。
川村さんの書き込み,とても本質ついてますね。
こんなこと,GゼミのBBSでは書けないことだ。
Gゼミの内輪のなかでは(個人的あるいは感情的な動向があって)
自由に言えないこともあるけど,まさに川村さんのおっしゃるとおり,
いったんGゼミがホームページを開き,BBSを開いたからには,
情報のやりとりの開放性というのは絶対的な条件ですね。
そこのところの交通整理(あるいはコーディネート)は,
このページのオーナー,山宮くんは群を抜いて礼儀正しいです。
ぼくはGゼミのメンバーになっているけれど,大学を変えたこともあって,
今では芸大時代のように密に関わっていないのが現状です。
また,Gゼミメンバーの多くはインターネットを見れない現状で,
メンバー間の情報格差があるとのことで,その内容・運営にも,
メンバーの間で不一致が起こっています。
そして川村さんからの質問にまだ答えてないことについては謝りますが,
僕自身正直言って「現代美術」に対する概念がしっかりできあがっていません。
(そもそも現代芸術に対する切り札的概念はないと想像しますが。
またそのうち必ずお答えします。
いずれにせよ,Gゼミの内部でも,意見がなかなか統一しない,
という現状があります。まあ組織にいる以上,きわめて個人的な
行動あるいは言動にクレームがくるのは避けて通れないけれど,
そうした交通整理の仕方に対し,ぼくはいささかの懸念を隠し切れません。
権太丸さんについてのコメントは権太丸さん自身の能動的な
書き込みを期待します。
小松正史拝
http://member.nifty.ne.jp/tatsutoshi_kawamura/丸山の書生様
>川村さん、むこうのBBSでのいきさつは第三者としてずっと見ていました。
もう11月のことですから、むしかえすのもなんですが、11月27日にじゃ
あこれで、と書いて以来、むこうのBBSを読んでいないので今はどうなって
いるかわかりません。
http://www.kcua.ac.jp/~g-semi/cgi-bin/minibbs.cgi
>文字づらではなかなかニュアンスが伝わりにくいもので、行き違いも起こるの
>かなあと、感じていました。
あの事件(?)はニュアンスの問題ではなかったと思います。Aをたずねたの
にAと回答せず、その質問そのものが無効だ、という返し方がおかしいと思う
のです。これは礼儀とか論理の問題です。
>僕のこの書き込みも、どう思われるか分かりませんが、何とか、方向は見いだ
>せないでしょうか?
私はGゼミ関係者ではないので、Gゼミがどういうふうに今後進むのかについ
てなんら責任も関心もありませんから、私は別にかまわないのです。私でなく
て、Gゼミの問題でしょう。方向を決めるのは、Gゼミなのです。
ですが、私のように、Gゼミについて何らかの関わりをもとうと近づいて来る
人に対して、Gゼミがどのようにその人に対応するところなのかということを、
ここで知らせておくのは、いいことかもしれません。
みんみんこと小松君が、日本サウンドスケープ協会の会報誌の折り込みで、G
ゼミの案内を出していて、WEBもあるのできてね、と誘っていたので、覗い
てみて、かつ、「なんでも書いてください」というBBSがあったので、小松
君がいうところの「現代美術の既存の枠組み」とはなんのことか、と質問して
みたのが最初でした。もうログはないでしょうから検証はむずかしいのですが。
ところが、小松君はそれに答えてくれなかったし、代わりに権太丸氏が、「現
代美術の枠組み云々を話す場所じゃない」みたいなことを書いてきたので、
「なんでも書いてください」というのと話が違うね、と返したわけです。また、
新居さんがGゼミの行なった催しをレポートしていたので、そういう意見があ
るよ、とお知らせもしました。それに対して、また、権太丸氏がなにか検討違
いのことを書いてくるわけです。それはすぐに本人が消してしまったので、そ
れに対して私が応対した部分だけがBBSに取り残され、妙なことになってし
まいました。
そうしたら、Ayako Aramakiという人からメールをいただきました。どうやら
その人がBBSのオーナーだったようです。ひょっとすると、この人と権太丸
氏は同一人物なのかもしれませんが、私にはわかりません。
Ayako Aramakiという人は、私に、発言を消して欲しいと頼んできました。ま
た、書生さんのように、書き言葉のやりとりでは感情が強く出るので云々、と
もおっしゃっておられました。しかし、私があきれたのは、文体ではなく、
「質問したことに答えない」ことについてだったのです。なんでそれがわから
ないのかな。もっと言えば、小松君が私と対決すればすむことなのに、どうし
て権太丸氏なりAramaki氏が出てくるのかもわからない。更に小松君の書いた
文章についても権太丸氏は糾弾しはじめた。??? いったい小松君はGゼミ
のメンバーなわけ? あるいはGゼミについてメンバーが個々に外部にGゼミ
のことを伝える場合には権太丸氏の検閲が必要なの?
BBSというものは、主催者がどう思っていたとしても、世界に対して開かれ
てしまっていますので、主催者はそのことを肝にめいじておくべきだと思うの
です。ですからどんな読者が投稿してくるか、自分の想像の範囲を超えている
ことだって多いにありうると思っているべきなのではないでしょうか。少なく
とも「何でも書き込んで」と表示しておきながら、質問は無効であると切り返
してくるのは、読者に対しても参加者に対しても失礼だと思うのです。
ああ、そうだ、ニュアンスの問題といえば、こういうのもありました。権太丸
氏は私に対して最初に「川村さんとやら」と呼びかけてきたのです。これは、
どう思います? そうかい、私は「なんとやら」なのだね。えらく軽く扱われ
たものだ。
まあ、Gゼミがなんだか、だいたいわかりますね。こういう対応では。いや、
そうじゃないな。あのBBSがどういうものかがわかるだけですね。Gゼミの
他のメンバーとはやりとりしてないですから。
というわけで、小松君、そして権太丸氏、どうするの、この先?
昨晩は森太三くん(立体作家)の依頼で、彼の個展の会場案内プリント作成のため、
アルバイト先であるデザイン事務所にて、深夜3時までいました。
今日12日がその展覧会のオープニングなので、夜のうちに、ギャラリーそわかで
搬入の仕上げをしている森くんに、完成したプリントを届け、結局そわかのギャラリー空間
で寝ました。今日はそわかから出勤し、夕方、オープニングパーティーに出席。
さっきまで、集まった顔ぶれで呑んでいて、今帰ってきたところです。
森くんの展覧会なかなかだと思います。24日までやっているので、ぜひ。
>山宮くん、昨日の夜、プリントを作る合間に、正方形以外の紙による折り鶴を実際に
試してみましたよ。いくつかやりましたが、二等辺三角形は絶品です!
普通の折り鶴を初代ガンダムに例えると、二等辺三角形からつくった折り鶴は
まさにゼータガンダムといった感じのプロポーションになるのです。
他の形もまさに奇形ですね。
>石山唯くん、お帰り!インドの絵はがきありがとね。(書生=谷本)
>三木君、鍋、行きたい!たぶん行く!カラオケもね。
>ウエヤマさん、つまり大石くんはIAMASにいるの?
>みんみんさん&青年芸術家会議(?)の皆さん、
余談ですが、先日、赤塚不二夫の特集をしているフリーペーパー(PEPPER SHOP)
を何げに読み返していたら、1978年に、赤塚不二夫とその周辺の有志が集まって、
「全日本満足問題研究会」という団体をつくって、『ライブ イン ハトヤ』という
レコードまで出していた、と書いてました。このメンバーには、タモリや赤瀬川原平
まで入っていて、うれしくなりました。そのメンバーはそれぞれやっていることは
違うけど、そうやって面白い動きに賛同して、皆で真面目にふざけるという姿勢は
我々の文化鍋に共通するものを感じましたよ!
権太丸さん、ついに乗り換え?!三朗くん、どうも。何か書き込んでね。
ちなみに書生は谷本ですので。
川村さん、むこうのBBSでのいきさつは第三者としてずっと見ていました。
文字づらではなかなかニュアンスが伝わりにくいもので、
行き違いも起こるのかなあと、感じていました。
文字や言葉は万能ではないので、書けば書くほど、言えば言うほど、
実際に表現したい内容から離れてしまうということがあります。
僕のこの書き込みも、どう思われるか分かりませんが、
何とか、方向は見いだせないでしょうか?
http://member.nifty.ne.jp/tatsutoshi_kawamura/どうしてここに、小松君が、そして権太丸(ひどい名前だ)氏がいるのだ?
って、私は新居さんからきいてきたのだが……。
はじめまして。
「あきメロ」とは、山宮君も少し書いていましたが、あきられたメロディの略で
ございます。
それは、僕の提言する「コンセプチュアル・カラオケ」の一案なんですが、
普通カラオケは、なぜだか最近の歌をうたわなくてはならないという
暗黙の了解が働いている場合が多いですよね。
そうすると、最近の歌をまめにチェックしていない人や、しばらくカラオケに
行っていない人はどうしても引け目を感じてしまいますね。
カラオケをそのようなルーチンに終わらすのではなく、もっとその広大な
カラオケ・データ・ベースを最大限に生かした楽しみ方をしようじゃないか
というのが、"コンセプチュアル・カラオケ"の主旨なのです。
で、「あきメロ」ですが、「なつメロ」っていうのは、みなさんご存知ですね。
「なつかしのメロディ」ですね。
「なつメロ」は、厳密に言うと20年前あたりの歌だと思うのです。
10年前の歌は、どちらかと言うと、記憶が生々しすぎて「はずかしい」という
気持ちの方が強いと思います。その時、盛り上がっていればいるほどそれは比例します。
それを称して「あきられたメロディ」略して「あきメロ」と呼ぼうということです。
いわゆる今、カラオケで絶対うたっちゃダメな歌ですね。
ex、抱きしめてTONIGHTとか(笑)
他にも「はるメロ」「ふゆメロ」というのがあります。
「はるメロ」は、「はるかむかしのメロディ」の略で
だいたい30年ぐらい前の曲です。
「ふゆメロ」は、「浮遊しているメロディ」で、嫌がおうでも聞ける最近の曲の
ことですね。ラジオからでも有線からでもテレビからでも空気にあふれていると
いう意味です。これで、はる、なつ、あき、ふゆ揃います。
一度、カラオケで「あきメロ」ばかり唄えばみんなが相当楽しめること
間違いなしです。
他にも特定の場所について書いている歌ばかりを唄う「カラオケ世界一周旅行」
などいろんな楽しみ方があります。
みなさん、一度お題を考えてカラオケをしてみればいかがでしょうか?
隣に三郎くんがいます。BBSて何?て不思議そうに見ています。三郎くんから
一言 あいまっくっていいの?
ですって。ちなみに私は何を書こうと思っていたかというと、前から朝日新聞
の「ヒマジンイマジン」は共感を持って読んでいました。井上先生とか好きそう。
かりんから年賀状が来て、あの、ネットGゼミやプロペラBBSにしょっちゅう書き
込みにきている「みんみん」て誰?て質問してきたで。
タモリのハナモゲラは「口から出た出任せの言葉」です。
けれどもそれは,たんなるデタラメではなくて,
音の成り立ち方が現物以上にリアルで笑えます。
タモリが福岡に住んでた頃,ラジオからよく韓国や北朝鮮,
さらには中国の放送が受信されて,よく聴いていたとか。
その音韻を「タモリ調」に組み替えて,音を真似てうたっているもの。
ところで三木氏の秋メロの話,じつはまだ分かってないので,
よかったら,教えて下さいね。
みんみん拝
一体何だったっけ?
みんみんさんも、多分三木氏の秋メロ(飽きたメロディ)論にはぐっと
くるんじゃない?10代もいいけど、僕はそれ以前の、谷本君に借りた
タイムボカンシリーズのCDは感動的でした。
ナベ,おいしそう。みんみんは只今サンスケ論文執筆中で制作モードです(今月末まで)。
だからナベ行けません。残念無念。
山宮君が書いた美術の評価,20世紀の音楽にも同じことが言えます。
少なくとも僕が聴いてきたのはバリバリ西洋音楽ばっかじゃなくて,
アニメやアイドルの(今聴いてみたら超ベタで
なんとなく懐かしい曲のほうがかえってしっくりとはまってるような気がする。
音楽に効力があるとするならば,それは今を生きるための
大切なモチベーションを与える媒体であると思うのですが,
そういう意味でもちょっと昔の(ちょうど僕たちの感性がめちゃ
ハイテンションだった10代のときの)音楽を聴けば,
すごく心が動かされますね。どんなジャンルであろうと。
そんなこんなで最近タモリのハナモゲラ調のテープを聴いてるけど,
とてもおもしろいです。めちゃデフォルメしてます。一聴をおすすめすます!
小松正史拝
もちろん行くで
三木君の文章で、自己言及と異化、そしてデュシャンについてのお話が
ありますが、僕もデュシャンについては大変興味が有り(藤本由紀夫経由で)
そしてそれら美術の流れと、ほかのジャンルの動き、例えば数学との関係は
すごく面白い。数学と美術との関係を語る話は、あまり聞かないのですが、
かなり見事にはまってます。美術があいまいにやってる所を、当然きっちり
するわけですから、崩壊もまた早かった(笑)
1900年に数学者ヒルベルトは20世紀の数学を決定するスピーチを行います。
特に形式主義という物を確立した事が重要なのですが、これは、今まで現実の
現象と必ず関連して考えられてきた、数や計算といった物を、これからは
抽象的なただの記号として扱う。つまり、今までは「1」という数字の存在する
根拠として、一つのりんごや、一つのコップといったものの表現形式であると
されてきた物を、これからは現実世界に根拠を持たない、ゲームのような物と
して捉えるという物です。
それでは、数や計算がゲームなら、数学自体の存在の正しさはどうやって証明
されうるのか、それを何とか数学のルールの範囲で証明する事が、今世紀最大の
難問だったわけです。
これは美術で言う所の文脈からの逸脱。美術が主題を失い、美術の存在それ
自体をテーマに選び始めた、いわゆる「現代美術」の誕生と同じ路線で、恐らく
他のいろんな文化ジャンルで同時多発的に現われた現象ではないかと思います。
ですが、数学では「美術の世界で言う所の云々」といったいいわけが通用しない。
目前の数式が全てですから。ヒルベルトの問題は、あっけなく1931年に若干
25歳のゲーデルによって否定的解決を見るのです。要するに、数学自体の体系の
正しさを数学的に証明できないことがわかってしまうのですが、その研究の
おまけとしてコンピュータ科学が登場し、後のカオス理論の重要な道具になる
のです。形式主義が父的ならカオスは母的か?
数学がコンピュータを生み出したなら、美術の成果は何か?もちろん、美術が
何らかの成果を期待する物ではないという事をわきまえつつ、しかし問いたく
なるのです。それは、私たちが20世紀の美術を評価し得る恐らくは最初の世代と
なるからです。特に、日本に居る僕らは、未来の美術の教科書に載る20世紀の
日本美術の代表が、僕らの習った美術ではなく、漫画やゲームである可能性が
少なくなかったりするので、気になりますね。
折鶴のページ、面白いですね!
僕は小さい時、昆虫図鑑や植物図鑑が異様に好きでして、中でも、足が4本
有るショウジョウバエや花弁が葉っぱになってしまった蘭の花。または、ニン
ジンを切ったものをシャーレにつけておいて、何だか芽のような物が変な
所から出てきた瞬間のような、ちょっとキモチワルイ写真が大好きでした。
変形された折鶴の写真を見ていて、ふと、そんな事を思い出しました。
noanoaさん、なんか文面からよく分からん忙しさが伝わってきますね。
僕はといえば、朝日新聞に「暇人イマジン」というコラムがありますが、
まさにあれを地で行ってる状態でして、「死にそうに貧乏だ!」なんて
言ってる割に全然働く気が起きなくて、楽しくもあり、情けなくもあります。
http://www.iamas.ac.jp鍋大会よさそですね〜。
私が大垣にいなかったら絶対行ってます。う〜〜うまそ〜。
いや〜
覚えてくてたんですなぁ。うれし〜。
ところで、大石くんは一生懸命、漫画かいてはります。
昔2人で漫画道をめざそうとしてたことも言ってました。
今日学校が始まったときに大石くん見たら、髪の毛変わってました。
みなさんIAMASが運営しているFirst class 「public domein(パブリックドメイン)」(スペルあってるんか?)のこと知ってはります?
ここでいろんな人達がいろいろ出入りしてらっしゃるので
ぜひこちらにも顔を出してください。
始めはguestで入れると思うのでどうぞ。
ジーベックの部屋などもあり。もちろんバートンも。
これはcommuのなかにあります。
他にiamasの人たちがやっていることとかも見れたりもします。
iamasのURL書いておきます。
1月16日(土)8時から10時半までGPODのCAFEで、大文化鍋大会を
催します。
安藤忠雄事務所に属する次世代建築ユニット、URBANFORESTを迎え、
安藤事務所に研修中のベネトン社長の甥っ子イタリア人や、
同じく安藤事務所のタイ人の料理するトムヤンクンが出るなど
豪華パーティーになる予定!
レアものビデオ鑑賞会も同時開催。
レアなアートビデオがあれば、ガンガン持ってきて下さい!!
興味のある方は、僕までメール下さいね。場所教えますけん。
誰でも参加OKよ。
>山本さんも、空いてましたらこの機会に遊びに来てくださいませ!
参加費は¥1 500- + 持ち込み(お酒やワインや食事1品など)OR お手伝い
です。
よろしく!
なんかすごい、、。でも書くぞ。
生活は忙しいのです。
しかし、壁のない都市、たとえあるとしても
ある種のぱすぽーとを持っていれば電波みたいにどこへでも接続できるような
都市づくりを目指してがんばる事もできないので、
自分はぱすぽーとを持てる様努力しつつ
実は既にそうである都市である事を願います。
というか、かなりの確率でそうなのではないかなーと思っているのです。
その辺りから生まれるかもしれないそう思っていない人とのズレには目をつむります。
というのが今一番の関心事です。
忙しくなくなったらその辺りを研究、実践してゆこうと思っております。
これホント。じゃまた。
http://aso.jhs.choyo.kumamoto.jp/jhs/oriduru2.html折鶴について調べようと検索したら、結構興味深いページを発見。
ある中学校の数学の授業で、折鶴の様々な設計図を作り、
正方形ではなく、ひしゃげた紙から折鶴をつくるという変わった試みをしています。
”図形”の周辺をさまよう「かごめ」と「つる」
そして、「かめ」といえば亀甲。六角形なんですねえ。
宣伝!
あさってより、友人森太三くんの個展がギャラリーそわかにて行われます。
森くんは、主に折り鶴を使ったインスタレーションを作品としています。
今回の展覧会に使われる折り鶴は、千羽どころか、万を超します。
でも、千羽鶴のように何かの祈りを込めて作っているんじゃないんですよ。
そんな鶴たちが、どのようにすべるのか(?)、こう御期待!
ぎゃー!!サブイサブイ寒い!!!
5角形の辺の比1:0.38というとφ2:1(但しφは黄金分割
(1+5)/2)ですな。その辺の話もキリが無いけど、フィボナッチ
数列の隣り合う2数の比の極限も、黄金分割になります。
関係ないけどMaedaさん。EPSONのカタログ&釈永展のDMありがとう
ございました。でも実は家のプリンタでもTシャツは作れたのでした。
Shino's Barさんの所にも又今度伺います。
僕は最近山宮隆オリジナルグッズの試作にいそしんでいます。
今あるネタは、Tシャツ、マウスパッド、変なラジオなどですが、
ペンダントはちょっと難しい。ただのアクセサリーを作っても
仕方が無いので、なんかこう、グッと来る要素が欲しいですね。
(自分で考えろって?)生きるのって大変ね。
http://Paper.Cup.Com/ここの議論はいつも頼もしく思いながら読ませていただいています。
でも、量が多いので最近だんだん付いていけない(^^;)
まだここで挨拶してなかったみたいなので。
今年もシノバーに相変わらずのご愛顧を m(_ _)m
さ〜、いよいよ今日は釈永展の搬入です。
故郷には大江山のほか,天橋立,伊根の舟屋,ミップル,みんみん邸(?)と,
けっこー見所がもりだくさんなのダ。
ところで「かごめの歌」,地域によって歌詞が違うなあと,最近
友人たちと話していたのだけれど,みんなのところはどうですか?
ちなみに丹後地方では「つるとかめがすうべったぁ」なんだけど,
これで合っているのかな?
みんみん拝
なぜだかわからないけど、家からは書き込みできなくなったので、
今日は学校から。変な名前使ったから祟られてるのかなぁ。
五角形で思い出したのですが、円の中に正五角形を書いて
対角線を結ぶと五芒星形ができますよね。その星形の内部に
また小さい正五角形ができますね。そのそれぞれの五角形の
辺の比は1:0.38≒8:3ぐらいです。古代ギリシャの
キュリクスっていう盃とかパルテノン神殿とか、この比率が
使われるんですね。で、それは何故かというと、魔除けです。
星形やヒイラギみたいにツノがあるのは、魔除けにきくらしい・・・。
>三木さん
何故ティンゲリーを選んだかというと、好きだから。
でも何故好きかはわかりません。(笑)
あとは先生の御意向と書きやすさ。短絡的〜。
私がいるのは、文学研究科美学研究室というところです。美学は哲学ですね。
ウエヤマさんと大石くんはどういう繋がり?
ほんま、大石どうしてるんやろ。
ところで、「大石」って名前もたいがいやなあ。”陽”
みんみん君。久しぶりの登場ですね。大江山が大枝山だというのは有りそうな
話。なんか少年マガジンの『MMR』(知ってる?)並みに込み入った事になりそう。
で、ほとんど病気の書生氏ですが、なんか人の脳を覗いているみたいで大変
楽しいです。陰陽道については、フィボナッチがらみですこし勉強した事
があります。フィボナッチモザイクでも使われている2進法というのは、実は
陰陽の現代的表現ではないかという説があります。
現代のコンピュータの思想的なルーツをたどると、一つは中世の神学者
ルルスの円盤で、これは神の言葉を記した同心円状のルーレットを回転し、
そこで得られる言葉の組み合わせが全世界を顕すというもの。
もう一つは東洋の陰陽。これを17世紀に数学者ライプニッツが採用し、
2進法として記号論理学(これ意味わからんけど)の中に取り入れたらしい。
つまり、東洋の呪術的な陰陽思想と、西洋の誇大妄想的普遍願望の出会い
によってコンピュータが生まれたというもの。西垣通氏の一連の著作に
詳しいです。これを理解しないと、アナログは自然で、デジタルが人工だ
なんて馬鹿げた発想が起こります。本当はデジタルに潜む魔物ほど人知を
超えた物は無く、陰陽道の中にもそれを理解する為の知識が潜んでいるはず。
かごめの歌は僕もずっと気になってました(徳川埋蔵金とは関係なく)西洋
だったらマザーグースにも結構怖いのありますね。ロンドン橋落ちたとか。
これは過去に行われていた橋梁工事での人柱の風習を歌ったものだそうです
山本光子様、はじめまして。何か混乱してましたけど、あなたのHPは素晴らしい。
特に作品のヘタウマな模写(あれ描いてるの誰?)と鋭い批評の取り合わせが
最高です。これからもちょくちょく顔を出してください。
麻友美と、光子ね、覚えた覚えた。ちゃんと名前を漢字で書くとイメージ
湧くね。これまた何の根拠も無いんだけど。
ウエヤマさんどうも、あなたの声は一度聞いたら忘れませんよ。大石とは
中学高校浪人大学が一緒というたいがい長い付き合いです。昔は2人で
まんが道を目差したものでしたが、奴は今、何やってるんでしょう?
し〜殿。お久しぶり。ご結婚おめでとうございます。5色iMacの戦略は
一言ニクイです。スペック&価格競争に燃える電脳業界には近寄り難い
けど、実は僕はNextの頃からジョブズのファンなのです。
メビウス大王氏。明けましておめでとうゴザイマス。そうか、ペンローズ
タイルか、その辺の話は全然消化できていないのですが、大変興味有る
所です。ちなみに僕には小さな頃からの夢がありまして、それは素数の
出現法則を発見する事です。といってもそれから特に数学を専門にした事は
無いし、最新の研究成果も知らないのですが、今でも沸沸と心の奥底で
野望だけは膨らんでいるのです。
今日から仕事再開。書き込みも少々和らぎます。
今はある専門誌のちょっとした漫画・イラストの仕事なので嬉しい。
そうでしたか、みんみんさん。大江山のお生まれでしたか。
京芸の方の大枝山には、老の坂を登っていったところに「鬼の首塚」というのもあるんですよ。
在学中、散歩がてらにあの国道を歩いて「首塚」を探しに行ったことがありますが、
歩けたもんじゃありませんでした。予想以上に遠いし、何と言っても車が恐い。
酒呑童子がダンプに変わって、どんどん都に降りていくかのようでした。
メビウス大王さまのペンタゴン講話、とても興味深く拝見しました。
「分子構造/かごめ編み」の話、サッカーボールみたいな感じですね。
サッカーボールの場合、白いところが六角形で黒が五角形になっています。
あの黒を七角形にしたら、パラドキシカルなサッカーボールになったりして。
<サッカーボールの内側が宇宙>
なんだか赤瀬川原平の蟹缶(宇宙の缶詰め)みたいですな。
五・七角形が「陰と陽」の関係にあるっちゅのも、よだれがでるようなお話。
■今日の替え歌 お馴染み『ときめきトゥナイト』の節で
物理学的には 今の私 五/七角形の 1辺なの?
”歌”で思い出しました。
よく指摘されることですが、童謡の『かごめかごめ』は何ともパラドキシカルな歌ですよね。
あけましておめでとう,山宮氏! 今年もよろしくね。
ちょっと見ないあいだに,このBBS,殺人的書き込みですね。
にぎやかなのは,とてもいいこと(ついでに内容もめちゃディープ)。
芸大の在学時代,いつも研究室から大枝山を見ていたのだけれど,
そのカタチが故郷の大江山にもうそっくりでした。
まるで鬼が出そうな重々しさです。
宮津高校から見ていた山の風景と,芸大から見えた山の風景。
不思議なつながりを感じます。
みんみん拝
<山宮様
すみません! タイルじゃなくて、モザイクでしたね。ごめん。
<三木様
すみません! 人ちがい。五角形に凝っているのは「書生」さんでした。
<山宮様
という、言葉とともに、昨日、「文殊」のとうじ魔とうじさんから年賀状で、「買え!!!!」と言わ
れたのが最新刊の『半芸術』(青林工藝舎・1400円)。
この間話した「空跳ぶドジョウ」のパフォーマンスのことなどが詳しく出ています。
東京最深部に蠢く、最暗黒・最狂・最悪・最ガロ(?)なアーティストたちの生態が
あますところなく暴露されていますです。立ち読みしましょう!
明けましておめでとうございます。
山宮さん、今年はよろしくお願い申し上げます。
(年賀封筒、料金不足で帰ってきてしまいました! 再度郵送します!)
2週間ぶりに事務所に来て、inetを巡回してきましたが、いや、ここは
年末年始を無視しての盛り上がりですねえ。いろいろおいしそうな話題
が飛び交ってますが、2月末まで完全な「執筆/展覧会モード」なので
お話に参加できそうにありません。とりあえず走り書きでも…。
*
フィポナッチ・タイル、楽しく拝見しました。もっと細かいところまで
みたいです。「多面体フォーラム」1月例会のお知らせNEWSにここの
アドレスを書いておきます。 いいですよね?
「非周期的、かつ法則的なパターン」という意味では、複雑系よりもむ
しろ準結晶構造に近いですね。フォルムもとても似ています、見たかぎりでは。
*
<三木様
この「非周期的、かつ法則的なパターン」の準結晶構造(ペンローズ・
タイリングなど)にとって、五角形はとても重要な役割を果たしています。
また、80年代に発見された新しい炭素構造C60(構造を予見したB・フラー
にちなみフラーレンと呼ばれている)においては、五角形と七角形は「陰陽」
あるいは「対」の関係にあります。
五角形で空間が閉じ、七角形で開くのです。
ふつう、炭素の分子構造は正六角形で無限に平面を敷き詰めていくタイル貼り
ような形になっていますが、その中の1つから1辺を取ってしまうと五角形が
できます。そのとたんに空間が歪んでそこだけ盛り上がった「五角形の山」が
できます。平面からそこだけ突起するんですね。
七角形(六角形+1辺)の場合は、逆にそこだけが平面から陥没する形になります。
この「五・七角形」によって空間を閉じたり、開いたりするのは、伝統的な
「カゴメ編み」の基本。かごを見ると、カーブの頂点の所は必ず五角形になっています。
原子の世界から伝統的な手工芸の世界まで、通底する「五角形」のお話でした。
ところで、唐突ですが山本さん、なんでまたティンゲリーに興味を持ったんですか?
かなり珍しいような気がするのですが・・・・
ちなみに学問的に言えば何になるのですか?何学科?
他にも美術に興味がある友人がいたら、どんどんBBSに参加してほしいですねぇ。
濃すぎてだめかしら。
閑話休題、現代美術を父母の役割によって考察してみます。
僕が昔考えた現代美術お父さん、お母さんというお話があります。
みなさん知られているように、現代美術の祖は、マルセル・デュシャンだと
言われています。
戦後アメリカ現代美術は、特にマルセル・デュシャンの多大な影響を
受けました。その精神は、ネオ・ダダのラウシェンバーグからポップ・アート
のウォーホールにかけて引き継がれていきました。
その後、80年代はシミュレーショニズムなどですね。
同時に、ヨーロッパでは、神智学のシュタイナーの思想が、カンディンスキー、
クレー・モンドリアン、ボイスなどに引き継がれました。
僕は、芸術というのは基本的に二つの機能があると思っています。
一つは浄化。つまり心が癒されるってことですね。テクノテラピー(笑)
でおそれだけじゃなんか物足らない。
そう、芸術の機能は、もう一つあると思います。
それは異化です。
ブレヒトやロシア・フォルマリズムなどによって考案され、
発達した概念です。簡単に言えば、問いやズレの思想ですね。
それってほんまにそうなん?というやつです。
言語や物の認識そのものを問うやり方です。自己言及ともいいますか。モダニズムですね。
それは、なんだか両親における父と母の役割のようです。(古典的に考えてます)
母は、子供を包容し、安らぎをもたらす。
しかし、父は、子供を突き離し、自立するように厳しく育てる。
そう、現代美術の父は、
あらゆる事物の関係を問い直し、切り離していくデュシャンなのです。
そして、現代美術の母は、事物の関係を結びつけ、つなぎ合わせるシュタイナーなのではないでしょうか?
このように、小難しいと思われている現代美術を父的か母的かというように
二分していけばずいぶんわかりやすくなるのではないでしょうか?
陰陽説ともつながりますね。
次は、その理論から日本子宮芸術について考察してみましょう。
一瞬、酒鬼薔薇かと思ってびっくりしましたよ、魔女っ子マユさん。
「 a magic storonger than death 」っていいですね。
僕も激しく魔法に侵されています。
ナチスの書いたのはユダヤのマークですね。どちらかというと?六角形。というか、星印ですね。
そろそろ用語集を作りましょう。フローチャートみたいな相関図にすんの。
今、半分言葉遊びをしてますが、複雑に絡み合っていて、
図にしたらきっとフィボナッチモザイクになるのだわ。
またも、何か言ってます。魔法による妄想なので、今回のは無視して下さい。
ええそうです。陰陽五行とは阿倍晴明のやつです。
ちょっと前に、酒呑童子という鬼が京都芸大のある大枝(今は大江山とされている)
に住んでいたという話をしました。
『御伽草子』(室町時代)の中にも酒呑童子の話があるのですが、
ここにも阿倍晴明は出演しています。
行方不明になった子息を探すため、御堂入道という人が陰陽博士阿倍晴明に占わすのです。
そしてそれが大江山の酒呑童子の仕業であることが分かります。
そこで源頼光という武将とその家来である四天王たちが退治しにいくのです。
ここで面白いのが、この話にまつわる場所がなんか身近だということ。
まず先述のように
■大江山とは、実は京都芸大のある「大枝」のこと。
■阿倍晴明の墓は、昨年まで僕が住んでいた「嵐山」にある。
■阿倍晴明の誕生の地は他でもない「阿倍野」である。
■別の伝承によるとその鬼は伊吹山(IAMASのあるとこらへんだよね)
に住んでいたという説もある。
■源頼光の家来、四天王のひとりである渡辺綱は今の大阪の中之島あたりの生まれで、
その地域を渡辺の地という。
今でも渡辺橋というのが残っている。そしてひとつとなりの橋は大江橋!
■さらに、その近くには画廊が多く、
サードギャラリー、番画廊などが入っているビルは「大江ビル」という。
■源頼光の父は源満仲。頼光と満仲の墓がある多田神社の近くには宝塚造形大学がある。
渡辺氏は武士ですが、代々「滝口」と呼ばれる役職にあり、天皇につかえていました。
「滝口」とは呪力を持つと信じられ、鳴弦といって弓に矢をつがえず、
張った弦を手で強く引き鳴らすことで、邪霊を退散させる力を持っていました。
ところで、ペンダントって魔女っ子グッズっぽくていいよね。と三木くんとも話してます。
こんばんは〜。あぁ、すごいことになっている・・・・
京都の「ティンゲリー」は一回行ったことあります。流行ってなさそうで
心配になりました。あれはティンゲリー自身がセッティングしたようですが、
あんまり店の雰囲気に合ってないような気がして、ちょっとう〜んって感じです。
でも、ただでカタログくれたし、料理の値段もまけてくれたし、おまけにプレゼント
(ジェニーちゃん人形ジル・スチュアートバージョン)までもらっちゃって。
いい店だ。(←単純)
ペンタゴンと陰陽五行説って、あの星型のやつですよね?
アベノセイメイ(漢字失念)のやつかな。ナチスも何か使ってたような・・・・
悪魔が逃げられないっていう・・・・ すっかり忘れてしまったので調べてみよっ。
それにペンダント。これはグーです。ロマンチック。アクセサリーは大好き。
文化人類学は、はずせないでしょうね。でもどんどん相対化が進んじゃうと、
信じるものがなくなってしまうし。文化相対主義(人は人、何でもあり)から
信念絶対主義(人は人なんだけどどっかに通じ合うものがあったり、理解しあえる)
というのは、希望であり理想です。「どっかに通じ合うものがある」っていう
証明が、神話とか魔術、ブリコラージュなものに隠されているように思います。
ティンゲリーのカタログで、「 a magic storonger than death 」っていうのあるんだよ。
かっちょいいー。
http://www.bekkoame.or.jp/~cthulhu/index.htmlあけましておめでとうございます。
連絡会議発足。。。いいですねぇ。
僕らはバブルの恩恵どころか、
逆に損ばっかりしてますよね(同年代は人数が多いし。)
ま、そんなことに負けずに、がんばっていきましょう。
ではでは。
ひとりで盛り上がっていますが、じゃあ、こんな小ネタはどうですか。
名前の陰陽分け。
フランス語とかには男性名詞と女性名詞がありますが、そんな感じで。
「山宮」は当然”陽”でしょう。何か出っぱっている感じ。
「三木」も「森」も木だから棒状ですね。”陽”です。”男根”です。
「谷本」はもう”陰”でしかありません。
「山本」は一見”陽”に見えて、山の根元だから”陰”かな。
「上山(漢字あってる?)」なんて、ペナントを連想します。男臭い(失礼)。”陽”。
その他、BBSでは出演してませんが、
「山川(IMI)さん」は難しい。「山本」的に言うと”陰”。
「元木(GPOD)さん」も”陰”だ。
「高見(IMIスタッフ)くん」、くそー、何か僕なんか一番上から見下されているようで悔しい。”陽”。
「山下(ライター)」ってのは「山本」と同じなんじゃないの?”陰”
だから何やねん、って感じです。皆さんつっこんで下さい。
どこまで行くねん!とつっこまれそうですが、
苗字という言葉が、”苗”の字だというのも面白い。
三本の木の苗。
ちなみに”本”という字はもともと「草木の根の方」という意味。
”谷”の”本”は、どんどん深く潜って行きます。
”山”の”宮”くん、助けてぇ。
三木くんの「名前から風景をつくれる」って面白いなあと思っていたのよ。
それで、考えてたら面白いことに気付いた。
先述の森くんの苗字と三木くんの苗字って、ぜんぜん違う名前だけど
どちらも”三本の木”なんだよね。
森、三木、山宮、山本、谷本、上山 …。
なんちゅう単純な。
ちなみに森太三(もり たいぞう)くんは
1月12日(火)〜ギャラリーそわかで企画展やるので、皆さん観にいこう。
まだぜんぜん未消化ですが、
カルチュラル・スタディズってまさに”相対化”だよねえ。
僕は最近アートこそ、他ジャンルを縦横無尽に横断できる最も適した手段だとも思う。
ジャンル化・分類化にはもともと無理があって、どこにも属さないアート、
”社会の付属物”こそ、今は重要なのだ。
(ここで”アート”とジャンル的に呼んでいるのも矛盾だが…)
光州ビエンナーレはビデオで見ました。たしかにそんなテーマ分けをしてた。
森太三くんがビデオを持っているはずなので、また皆で見ましょう。
僕には、フィボナッチ・モザイクが、ペナントに見える・・・・
こじつけか???
谷本くん、反前衛として凱旋ってのも面白いね〜。
僕もコネタが出すぎて止まらないわ。
ペンタゴン面白かったでしょ。
さて、ペンタゴンと陰陽五行の併せ業も秀逸だね。
昨年の光州ビエンナーレ/韓国は、4行くらいのエレメントがテーマ
だったんじゃないかな?
そう言えば、「フィフス・エレメント」っていう映画があったけど、
僕見てないんだ。見た人います?
レヴィ・ストロースのお話が出てきているけど、
ここ最近の現代美術にとって、文化人類学はきってもきれない学問だね。
>山本さんどうですか?
ジャン=ユベール・マルタンがポンピドゥーセンターで企画した
1989年の「大地の魔術師」展から、
カトリーヌ・ダヴィットが企画した1997年のドクメンタィまで
20世紀末は、西欧文明の相対化が急速に行われている。
双方、文化人類学には、多大な影響を受けている。
そこで、日本だが、アジアの中で近代化を早く迎えたために、
非常に中途半端な文明になったという感が、否めない。
露骨に伝統を取り入れるとテクノ・オリエンタリズムの罠にかかってしまうし。
どうしたもんかしら?
>ウエヤマさん、IAMASのメンバーにも参戦するようにいってね!
そう、そこですよ、神酒くん。
僕は初めて展覧会を企画するとき、テーマとして”凱旋”を掲げていました。
”前衛”に対しての”凱旋”です。
現代美術における前衛は、常に表現の新天地を求め、僻地(渚、彼岸)へと向かいました。
そうすることによって、よりピュアな表現を獲得していった訳です。
これを古代ローマに例えると、将軍たちが素晴らしき宝庫であるギリシアやエジプトへ出向き、
略奪・凱旋することでローマ市は豊かになっていった。
(※持ち帰った戦利品を飾ることがプリミティブな展示行為につながっていたことにも注意)
しかし、アートの場合、その凱旋を行わない(行なえない)ので、一般社会からはどんどん
離れていったと言えます。そして社会にフィードバックするコトがない。
決して”社会のために”何かしようと言っているんじゃないですよ。
ただ、前衛がなくなったと言われて久しい今、道は自ずと見えてくるんじゃないかなあということ。
僕らが必要としているのは、”凱旋する場”、象徴的に言うなら”凱旋門”なのだ。という主張でした。
辞書ばっかり読みあさっているようですが、
英和辞書で pendant を調べると、
=pennant; 付属物
と書いてありました。
社会の余剰。社会の付属物。
そして、ペナントから導かれたペンタゴンが軍事産業に関係しているという事実。
山宮くんの言うところの芸術と軍事産業との類似性。
行き過ぎ?いや、欲望に忠実になろう。
最近、自分のアイデアノートのようにこのBBS使わせてもらっていますね。
山宮くん、日本の戦後現代美術家がいかに生きていく場がないかということは、
岡部あおみ著「ポンピドゥー・センター物語」の中の「前衛芸術の日本」展の項を
読むといいぞ。
つまり、構造主義的に言えば、社会構造の中に組み込まれてないっちゅうことやね。
岡部さんは、日本人女性として初めて、ポンピドゥー・センターの研究員として
活躍してた方で、今.は、メルシャン軽井沢美術館のチーフ・キュレーターとともに
IMIの講師もしています。何かまた宣伝になっちゃた。
「前衛芸術の日本」は、ポンピドゥー・センターで初めて1910移行の日本の現代美術をテーマに
1986-7年に開催されたもので、岡部さんがオーガナイズに全面的に参加した展覧会です。
その一文を引用しよう。
フランス人のキュレーターたちと各自の研究調査を進めていく過程で明らかになって
きたことは、建築・デザインのように、産業・経済と関連した分野はともかく、
革新的な現代美術が、日本の社会において、ほとんどの「場」をもっていないという
悲しい事実だった。場とは、公共の支援組織、美術館、画廊、民間の財団、メディア、
コレクター、観衆などのサポート環境の総体によって作られる社会構造の中の
現代美術の位置だ。
多くの討議を経た上で、私たちは「前衛」というタイトルを展覧会につけることに
合意した。それは、困難な状況の中で果敢な戦いを続けてきたすばらしいアーティスト
たちへのオマージュだった。
僕らが考えなくてはいけないことは、なぜそこで「前衛」とつけなければならなか
ったのかということだ。僕には、軍事用語である「前衛」は、戦前の「特攻隊」を
連想してしまってしょうがない。それくらい場がないってことなのだ。
ひぇー!そうか。
”ペンタゴン”が何かそういうアメリカの公の施設の愛称だということぐらいは
何となく知っていましたが、そこまでは認識していませんでした。
ペナントがきっかけにそんな発見を導き出すなんて、驚きの連続です。
”ヘキサゴン”と名付けるとき、やはりペンタゴンを意識していて、
ペンタゴンは既に愛称としてイメージが出来てしまっているけど、
ヘキサゴンならちょうどいいやとか思っていました。
何だか最近、まるで山宮くんのフィボナッチモザイクのように、
発想が発想を生み、小さな図形(ネタ?)が大きな図形になっていくようです。
嬉しい。そして恐ろしい。
もうひとつおまけに言えば、五角形は陰陽五行説に繋がりますね。
三木学@臨床試験戻ってきました。
谷本君、ペンタゴンは関係が多いにありですよ。
IMI講師きってのインテリ港千尋先生@写真&批評家は、
かのスラヴォイ・ジジェクのお弟子、哲学者&アーティスト、マリナ・グルジニッチ
との対談で、「パノプティコンからペンタゴンへ」という19世紀帝国監視社会から
20世紀アメリカ主導大衆監視社会への一本の線をひきました。
ペンタゴンとは、5角形型建物のアメリカ国防総省の愛称なのですよ。
つまり、パノプティコンを典型とした19世紀型の一元監視システムは、
アメリカ国防総省が操る軍事衛星へと飛翔し、より増大な力をもつとともに、
日常に氾濫する監視カメラへと多元化していったのです。
それは、マス・メディアの力の巨大化も意味するわけですが。
谷本くん、君が次に組織する展覧会のピッタリのテーマだと思うのですが
いかがなもんでしょう!
どこかに「五角形の何か」あればですが!!
こりゃ病気だわ。”書き込み病”。
止まらんの。仕事が始まったら忙しくなってマシになると思うので許してね。
ペナントが男臭いものだとは分かっていましたが、
やはり女の子に分かってもらえないのが悲しくて、
なんとかひきつけようと必死。
そこで、ペナントの語源を紐解いておきましょう。
『図説ディスプレー用語事典』(グラフィック社刊)によると
”ペナント”とは
”ペンダント”と”ペンノン”(三角形または燕尾型の槍旗のこと)との混合語
とのこと。なぜペンダントなのかは不明。関係ないが”ペンタゴン”は五角形。
先程、BBSは見れるが書き込めない環境にある神酒くんより電話。
彼にも指摘を受け感動したことがあります。
私ごとですが、昨年僕がやった展覧会はなぜか図形に関係しているということ。
■2月〜3月、京都でやった展覧会は、会場の場所”烏丸六角”にちなんで
『ヘキサゴン(六角形)』と名付けました。
■10月に神戸でやった展覧会は、会場の円形ホールの特質を生かし、
『パノプティコン』(円形の監獄のあるシステム)
そして今、三角形に囚われている。
ほんと個人的な偶然でしかないのだけど、自分以外の何かの力を感じます。
ところで、『ヘキサゴン』を開催した烏丸六角には、
「ティンゲリー」という喫茶店があって、
彼の作品が贅沢なように店中に飾られています。
山本魔友美さん、行かれました?
ブリコラージュというのは、基本的に文化人類学の用語で、どっちかっていうと
概念的なことを指す言葉です。簡単に言うと、「ありあわせの道具材料を用いて
自分の手でものをつくること」で、私は「閉じた資材の世界でありあわせのものを
使ってリサイクルすること」、と理解しておりまする。
無文字社会(いわゆる未開社会)における呪術や植物の分類なんかの説明にも
使われてるし、科学に対立するものではなく、科学と同様に私たちの
文化の基層をなしているものとして指摘されています。
それから、女の子はやっぱり、奇麗なもの、ちっちゃくてカワイイものに弱い
のではないかと思います。あとは自分を奇麗に見せてくれるものとか、
自慢出来るものとか。プレゼントはもうちょっと考えます〜。
>山本光子さん
こちらこそ、ごめんなさい。私が気づかずに同じ名前にしちゃったんですね。
これだから、よくある名前って・・・。変な名字って憧れる・・・・。
>ウエヤマトモコさん
はじめまして。全然関係ないんですけど、ヤマモトエツコってちょっと
似てますね。(←妹) ヤマづいてるな〜。
おこんばんわ。
ウエヤマといいます。ミキくんから教えてもらってきました。
私はただ今岐阜のIAMASにいます。山宮くんの友達の大石くんとも友達っす。
んで、何度か山宮くんとは会ったことがあるのですが覚えてはりますか?
何年か前の丹後であったのと、ミキ君が京都で個展したときと、大阪のライブ
ハウスでもあったことがあったような、なかったような…。
ま、そんなことはどうでもいいのです。
なんか面白そうなので、また来ます。
話の腰折りand去年のネタを今年にふる、二重の失礼でゴメンナサイ。
noanoaをやってますyamamotoと申します。
掲示板は時々覗かせていただいてたのですが、久方ぶりにおじゃまして過去分も拝見してたら、
「ありゃ?アタシのことですか?毒舌のyamamotoさんて?」
ちょっとビックリ。
以前、にいさんに「山本さん修士論文書いてるのね」というメールを頂いて、
「いや、いや、メッソウもない」とお返事させていただいたことがあるのですが、
こちらでも混乱が、、、
(あと、山宮さんにメールをさせていただいたこともなく、これまた混乱?)
山本麻由美さんには、申し訳ありませんでした。
私の方が、後発で、シノーバーさんの所で、「ハンドル同じだ」と気づいていながら
変えてなかったのです。
「じゃ、今度はM.Yamamotoにしよ〜っと」って思ってたら、麻由美さんもM.Yamamotoに変えられてて、
「同姓同名か!?これは困った」と勝手に思ったりしてました。
そんなこんなで、ビックリしたけれど、知らない所で名前が出てて、ちょっとうれしかった、
yamamotoでした。
P.S.
「ときめきトゥナイト」懐かしぃ〜。
三角形の魔力、女の子にも分かってもらえるように、
こんな歌はどうでしょう。
『ときめきトゥナイト』
物理学的には 今の私 三角関係の 一点なの
女の子だけが持ってる ウルトラエクセレンス 第六感コンピューター
分析の結果 現在 50:50(フィフティー・フィフティー)みたい
I Love You なんだかわたし ソワソワしてる ときめきトゥナイト
I Love You イタズラ気分で 見つめ合いたい ときめきトゥナイト
ときめきトゥナイト ときめきトゥナイト
蘭世は魔界の女の子です。
<魔術とか呪術とかにもぜったい何かある>
そうかもしれませんねえ。
にくいにくい。フィボナッチモザイク。
画面を見た瞬間、ぞくぞくっとしました。
”数”は悟っていた!
<止揚=一休>というのもいいね。
<命題から反命題へ至らず、一休みこそが悟り>は
<芸術から反芸術へ至らず、超芸術トマソン>みたいですね。
赤瀬川のやりのこしたことか。
僕はねー、そのへんの話を踏まえて、やっぱアートってとんちだと思うのね。
とんちといえば一休さんだけど、14世紀の禅宗一休宗純和尚はこう歌います。
有漏地より無漏地へ帰る一休み
雨降らば降れ風吹かば吹け
文字どおり解釈すると、「漏れている所から、漏れていない所に帰る前に
一休みしよう。雨が降っても風が吹いても大丈夫」
という事だけど、もちろんこれは喩え話なので、漏地は煩悩と解釈されたり、
もっと抽象的に命題ととらえる事も出来ます。
すなわち、命題から反命題へ至らず、一休みこそが悟りであるという教えです。
そう、以前、アートはコミュニケーションの止揚(アウフヘーベン)であると
いう意見がありましたが、アート = 止揚 = 一休 = とんち
という事になるのでした。本日のウンチク、終わり。
ブリコラージュ》って何ですか?なんかバリバリのコラージュを想像して
しまう。山本さん、アートのプレゼント大歓迎する前にどんなやつが欲しい
のか教えてよ。どーしても僕らだけで考えるとペナントみたいな男臭い物
しか出てこないのだ。
アートセラピーという言葉があるけど、芸術が病だとするならば、健康も
やはり一種の病となり、どんどん話が入れ子構造になるのですが、こんな
話をすると、きっと今度は書生君の個展入院論が聞けるはずです。
書生君のカバラ的民俗学勉強になるね。なんか女子高生とお近付きに
なりたい事から始まったプロクラ(「女子高生の考えるプレゼント・
プロジェクト・クラブ」の略)がお供えの話になるとは一本取られたわい。
本日の四字熟語期待してます。
話の腰を折るようですが、全然関係ないネタ。僕が大学院1回の時に制作した。
フィボナッチモザイクという物をアップしてます。算数好きの人は見てね。
生存には何の関係もないという点で、やっぱり
芸術というのはある種の〈病〉なんだろう、という話をしていた時に
山宮さんの「アートは健康だ」というのを見てかなり面白かったのですが、
芸術が経済的に成り立つかどうか、あるいは役に立つかどうかというのは
はっきり言ってしまえば、生きていくうえでは何の関係もないことなのかもしれません。
だからアウシュヴィッツや広島では芸術が存在しなかったということなのか
とか今日思ったのですが、〈病〉も〈健康〉も実は表裏一体で、
どちらかがなければ存在しないものなのかなと。
だから〈病〉な芸術(いわゆる役に立たないものでも)は、〈健康〉のために
必要だという逆説的なことが起こってしまう。何か支離滅裂。
ついでに、レヴィ=ストロースの《ブリコラージュ》とティンゲリーの合わせ技で
何とか仕上げようとしている私には、屁理屈芸術論とっても面白かったです。
魔術とか呪術とかにも絶対何かある、と思うのは、やっぱり何かあるんです。
いろいろ言いたい事あるんだけど、ちょっと考えるので、また今度。
ペナントは女の子にはあんまり思い入れないのでよくわからないです。
でもアートのプレゼントは大歓迎。
すまんねえ。止まらんくなっちゃった。
余談ですが、昨年、時代祭の仕事の関係で、平安神宮に”四神盃”という記念品を
もらったのです。四つのおちょこです。
平安神宮は祭をするとき、四神を描いた旗を掲げます。
四神とは、青龍(せいりゅう/たつ)、朱雀(すざく/とり)、
白虎(びゃっこ/とら)、玄武(げんぶ/かめ)であり、
それぞれ、東・南・西・北に対応し、各方位を守護する想像上の神獣です。
中国で広く信じられていました。
僕もよくは分かっていないのですが、この四神が実は陰陽道に深く関わりがあって、
それに基づいて造られた平安京は「四神相応の地」と言われます。
つまり、京都の真北には船岡山、東に鴨川、西に山陽・山陰道がある。
そして南にはかつて巨椋(おぐら)池があったんですね。
平安京をつくるときに、このコスモロジーをもとに適地として選んだのが今の地な訳です。
四神相応の霊地は、そこによい波動が集まると信じられていたそうです。
これについては中川先生の『平安京の音宇宙』にも詳しいんじゃないかな。
ともかくですね、”3”からは外れちゃいますが、
この四神盃、何か僕らのしきたりとして使えないかなあとか妄想してます。
平安神宮は近代の”博覧会”の産物だしね。
三三九度ならぬ、三四十二度(さんしじゅうにど)とかね(笑)。
余談でした。
何だか取り付かれているよ。
今日は、ペナントについて調べようと”みやげもの”について書かれた本を探す。
そして見つけたその名も『おみやげ』神崎宣武著(青弓社刊)という本。
残念ながら、これにはペナントについてはほとんど触れられていませんでした。
ペナント以前のおみやげ、江戸・近世あたりからその源流を見い出そうとしています。
しかし、これを読み始めてまたも発見!
まず、”みやげ”の語源です。いくつかの説があって断定はされていないようですが、
そのひとつ、一番に挙げられているのが
”宮笥(みやけ)”からきているというもの。
”宮”ですよ、山宮くん!
”宮”の”笥”。神社に参るときに持っていく笥(け)のこと。
つまり、神饌(しんせん)を入れる器の意味だそうです。
あるいは神社から授かるしるし、と解釈することもできようと書いてありました。
詳しくは後述しますが、ここで確認しておきたいのは、
辞書によると、”神饌”とは、「神に供える酒食(しゅし)」のことであるということ。
ほかの説としては、”見上げ”、”御饗(みあえ)”があるらしく、
いずれも俗説の域を出ないが、その起源を古くたどろうとするところに共通点があり、
そこには、神仏や貴人に対する「献上品」や「もてなし」の意が色濃く潜在している
とあります。
どう?山宮くん、”プレゼント・プロジェクト”を考えている君には
きっと感じるところがあるでしょう。
そしてそして、この本を読み進んでいくともうひとつ驚きが待っていたのです。
それでは、そこをそのまま引用させて戴こう。
宮笥の典型を瓦笥(かわらけ)と仮定すれば、次に神酒(みき<!>)を
連想するのが当然のことである。現在でも神社に参拝すれば、神酒をそう
して授かることがあるではないか。それをもって直会(なおらい)とする。
つまり、神前に供え、カミが口をつけ給うためでたい酒を相伴するのであ
る。/神人の共食─それをもって、おかげがあった、とする。とくに酒を
介すると、ある種の契約事が成立したとするのは、人間同士の「盃事」の
慣習をもってしても明らかなことだ。この場合は、カミとヒトとがめでた
く契るのである。/短絡視することは戒めなくてはならないが、ミヤゲの
ひとつの原型は、カミから授かる”おかげ”と仮定してよい。そして、そ
の具象の代表として酒と盃が注目に値しよう。
どうなの、ミキくん。あなたも何かに取り付かれているんじゃない?
語呂合わせには違いないが、その偶然に喜びを覚えるのは確かで、
僕のテンションの琴線にビンビン響いてくるのは否めないのだ!
また、ここでは、自然崇拝─神─酒─盃などについても論じられていて、
シンポジウム”共に呑む”ってのが見えかくれします。
もう、たまんないねえ。本にしよう。自己満足かもしれないけど、
今、そうしたい衝動にかられています。
■本日の四文字熟語
”三三九度”
結婚式の献杯の礼。新郎新婦が一つの盃で酒を三度ずつ飲み、
三つ組の盃で合計9度飲み合うこと。と辞書にはある。
このとき使う三三九度盃はカミとヒトとを繋ぐ専用の酒器といえる。
神々の前に酒を供え、それを参集者に振る舞って宴を催す祭の形式は
広く世界の民族に共通する。酒が神々と人々をつなぎ、ハレの世界をつくる。
その延長線上に非日常的な音楽や舞踊が生まれたりもした。
三三九度。これ結構重要ですよ。
なぜ、あの時、そこに気付かなかったんだろう。
ペナントは三角なのだ。”三”木くんなのだ。
そして、記念すべき第1回目の文化鍋は3文字ばかりが集まったのだ。
いや、あるいはどこかで気付いていたのかな?
そう考えると、山宮氏による3項対立の図式も何か象徴的に見えてくる。
3のマジックにかけられている私達。
”山” 宮 君、 ”谷” 本 君、絶好調だね〜〜〜。
不肖 三 ”木” も頑張らなくては!!
谷本くんも鋭いね〜。僕も実は今日、名前について考えてたんだよ。
かなりみんなシンクロってますね。
よく考えてみたら日本の名前は、無限の風景を創造していると思いませんか?
名前そのものが、景観の入れ子にであり、景観創造の仕掛けだったなんて!
三人の名前を合わすだけで、名所・名勝になっていく。
たぶん、名前から絵をかいたら面白いと思う。
山宮なんて、山の宮だもんね。
それから、シンポジウムについての補足です!
語源から調べると、symposium、のsym-はラテン語のcoに相当するギリシア語の
接頭辞でtogether「共に」「時を同じくする」「似ている」を表し
poは、ギリシア語でto drink を表すそうです。つまり一緒に飲む!
で、古代 ギリシアの酒宴、饗宴から転じて、談話会、座談会、寄稿論集を
表すそうです。
古代ギリシア人は食後酒をくみかわしながら知的な談論に興じることが多かった。
哲人 Plato の対論篇 the Symposium はこのような場合における談話を述べた
ものである。
(語源中心英単語辞典 田代正雄 南雲堂 より)
だそうです。
山宮くん、はやく女子高生マーケティングしようぜ!
しつこいようで失礼。
”山”のことを考えていたら、また思い付いたので、メモしておきます。
山宮氏の<美術─寺社─山岳信仰>の関連性は本当にするどい。
で、これはするどいかどうか、僕の妄想に過ぎないかも知れませんが、
前にも言いましたが、美術と社会と<鬼・妖怪>との関連性について考えていたので。
日本では、西欧の<神─悪魔>との関係と違って、
<鬼─神>は表裏一体というより、同一視されることがよくあります。
神社というものが、神を祀っているだけでなく、鬼を祀ったものも多くあります。
鬼は山に多く住み、出没します。
京都芸大のたつ、大枝はもともとかの”大江山”であり、酒呑童子が住んでいました。
(これが”酒呑”童子であるということも、シンポジウムを考えている私たちにとって象徴的ですねえ)
酒呑童子を倒した源頼光の家来である四天王のひとりは坂田金時、
つまり金太郎です。金太郎は龍と山姥の間の子供と伝えられ、
すなわち彼も鬼であります。彼が生まれたのも足柄山という”山”
金太郎および山姥・龍の伝承には山岳信仰の影響が大きいとある本に書いてありました。
…と、まだまだ未消化ですが、気になるところがまだあるので、
私の妄想であろうと、今後もっと深めて行きたいと思っています。
http://www.venus.dtinet.or.jp/~miyata/pena.html忘れてた!正月に見つけたペナントコレクションのホームページ。
まだアプローチしていないので、皆で刺激しよう。
そうそう、そういえば、このホームページの作者が、
アートのコレクターらしき人であったという偶然?も何かを物語っていますね。
ミュシャの作品を購入したことについてのページもある。
何だか恐くなってきたわ。自分たち以外の何かの力が働いている。
今年は正月早々、頭の回路が刺激されます。このBBSの存在も大きい。
親戚家族に誘われ、昨日〜今日は久しぶりにちょっとした旅行。
京都の北の木津温泉というところへ行って参りました。
観光地の代名詞とも言える「天橋立」にも行きましたぜ!
ここぞとばかりに社会調査。いくつかの土産もの屋をめぐり、ペナントを探しました。
しかし…ない!ないのです。一瞬ヒヤリと背中に寒いものが走りました。
これは本格的だわ。日本からどんどんペナントがなくなっていく!
この正月に山宮くん、三木くんからペナントの話題が出たのは偶然ではない、と感じました。
あまり時間がなかったので、全ての店を調査することはできませんでしたが、
そこらへんでメインと思われる店には行き、店員さんにペナントは?と聞いたのです。
そしたら、やはり最近は仕入れていない、とのこと。
しかも、夜8時頃京都駅につき、嫌な予感?がして京都タワー下の「タワーデパート」に行ったのです。
というのも、皆さん御存じと思いますが、ここは「タワー」独特の何ともモサい雰囲気で溢れていて、
僕の最も注目のスポットのひとつでもあったのです。
つまり、ここに行けば当然ペナントに出会えると思っていた!
しかし…。
泣きそうになった。まさかと思った。ここに無くしてどこにある。
東京タワーといい、エッフェル塔といい、タワーとは近代名所の象徴であり、
近代以降の”山”とも言える存在だ。そしてこのモサさ!
いや、本当にペナントの危機的状況だ。これはきっと我々の使命だ。
ペナントを何らかの形で残していく作業。
それはそのまま保護することではないのかもしれない。
大仕事だよ。
ところで、山宮氏の「美術と寺社・山岳信仰論」。非常に良いです。くやしい(くやしいは、僕の最高の褒め言葉)。
「ペナント」の一番の発見も自分でないのが悔しいくらいです。
でもそんなところでオリジナリティーを勝負していても仕方がないんだよね。
こうやって皆の発見に刺激されて、自分の頭の回路がぐるぐる動かされているということこそ素晴らしい。
今日のキーワード
”物見遊山”
先述の昔僕がやった展覧会のコンセプトでもあったのですが、
展覧会に敢えて物見遊山的に来てもらおうということ。
この言葉に”山”が使われているのも象徴的だと思うのです。
そして僕は京都では名所・名勝と呼ばれるところばかりに住んでいる。
嵐山・東山・円山公園。
”山”とは信仰の対照であるとともに、今で言うところのレジャースポット(死語?)だったんですね。
ね、”山”宮くん。
”谷”本でした。
この議論の目的として、自分の制作に役に立つという目標を最初に挙げました。
その辺を踏まえて考察を進めていくと、要するにちゃんと美術で生きていくには
それなりの構造が必要だという事がわかります。僕の生活の不安定さは、この
不景気の中、企業、学校、バイト先が何とも頼りにならない事から来ているの
ですが、そこをなんとかする為の別なシステムがどうやら必要なようです。
半分本気、半分冗談のシステムとはこんなのです。
7) 無 | 男性
価 | / \
値 | / \
有 | 作品-------女性
---------------
無 必要 有
簡単な話で、男性に、女性へのプレゼントとして作品を購入してもらおう、
という物です。もちろん、男性と女性が逆でもゼンゼン問題ないのですが、
今の美術の観客層として女性が多く、逆に圧倒的に若い男性が少ない事から、
たぶん男性はもらってもあんまり嬉しくないだろうし、プレゼントの為とあらば
きっと若い男性の客も来てくれるだろうという理由でこうしました。
美術作品はよく、その人それぞれによって持つ価値が違うといいますが、それは
贈与行為一般に言える事です。コミュニケーションそれ自体に、理解(愛)と無理解
(暴力)が内包されているからです。また、経済行為とは貨幣の介在によって
たまたま価値の保存を実現した、コミュニケーションのどちらかというと非常に
特殊な状況と見なせるらしい。
そんなこんなで、美術をプレゼントと見なす事によって、かなり世界が広がるの
ではないかと思います。そこで前にちらっと紹介した女子高生考案アートの
アイデアが登場するのですが、そのお話はまたの機会に。
また、
4) 無 | スポンサー 5) 無 | 国家 6) 無 | 賽銭箱
価 | / \ 価 | / \ 価 | / \
値 | / \ 値 | / \ 値 | / \
有 | TV局-------市民 有 | 軍隊-------国民 有 | 除夜の鐘----庶民
--------------- --------------- ---------------
無 必要 有 無 必要 有 無 必要 有
というように、様々な文化活動において、この三角形が現われる事から、結構
普遍的な構造なのではないかと思います。
僕はよく人から、作品って役に立たない物だけに経済的に大変でしょうと言われて
ついなぜかカチンと来てしまうのですが、このように考えると、役に立たない事と
経済的に成り立たない事との間には必然的な結びつきの無い事がわかります。TVも
軍隊も除夜の鐘も役に立たない(だからみんな直接お金を払わない)のに経済的に
何の問題もありません。Jリーグも美術もシステムの中に問題があるのです。
ここで軍隊を持ち出したのは、機会があったら詳しく書きたいのですが、僕の
大江戸文化再興論に関わる事だからです。簡単に言うと、江戸時代に、幕府の
武装解除により、日本刀、弓道、花火などが独特の文化を生み出した事を見直そう
という物です。29年の世界恐慌が太平洋戦争のきっかけになった事を考え合わせ、
早急に取り組むべきテーマだと思っています。
ここで、現実の美術界の図式はどうなっているかというと、
1)無 | 企業 2) 無 | 学校 3) 無 | バイト先
価 | / \ 価 | / \ 価 | / \
値 | / \ 値 | / \ 値 | / \
有 | 美術家------市民 有 | 教授-------国民 有 | 作家-------庶民
--------------- --------------- ---------------
無 必要 有 無 必要 有 無 必要 有
1)はいわゆる企業メセナ活動。2)は美大。3)は売れない芸術家を示しています。
なんかよく見ると、美術家は必用ないんかー!とか、学校に価値が無いのかー!
と、お叱りを受けそうですが言葉のアヤですのであしからず。あと美術館とか
貸画廊も抜けてますけど、そのへんは宿題にしときます。
ここで、三角形を反時計周りに交換が発生するのはお分かりでしょうか?
すなわち、企業が美術家に資金を出し、美術家が市民に作品を提供し、市民が
企業に消費活動を行うといった流れです。
レヴィ=ストロースによると、交換にはタブーが付きまとうという話ですが、この
三角形にも時計周りのタブーが存在します。だから美術家が観客にお金を要求
したり、学生が教授を出し抜いたり、バイト先で美術の話を持ち出すのは、あまり
いい事ではないのです。
ハイ。前回の続きです。
さて、山宮隆は『はじめての構造主義』橋爪大三郎著(講談社現代新書898)に
感動してしまって。早速自分の分野に応用するのです。
断っておくけど、当然僕は専門家ではないので、読書量も少なく(書生君の部屋の
あの本の多さに驚いたぐらいです)、きっと詳しい人が見たら何じゃこれ?と感じる
と思います。でも僕は自分の制作の動機さえつかめればそれで充分なので、これで
いーのだ。
まず、以前に僕は「芸術は余剰である」と言うような事を書いたので、余剰とは
何かという考察から入ります。もっともらしく3項対立の図式で、
0) 無 | 貨幣
価 | / \
値 | / \
有 | 余剰-------普通の物
---------------
無 必要 有
と、言う風に、貨幣、余剰、普通の物を並べると、対立軸として「価値」と「必要」
の2つの対立軸が現われます。ここで、なんで貨幣に価値が無いのだ!と、お考え
かもしれませんが、これは貨幣は物との交換によってはじめて価値が現われる
のだ。というぐらいの意味です。
ここで、一応、余剰とは価値は有るけど必要の無い物としておきます。
価値とか必要とかは僕らの使う普通の気持ちで使っています。
今後、この手の図にはずっとこの対立軸を使います。
http://www2.osk.3web.ne.jp/~propella/bbsLog/index.htmlどーも最近書き込みが多くて話についていけないというあなたの為に
BBS開設以来の記録をまとめましたので、どうぞご覧ください。
「日本の正月最高!」なんて気安く書いちゃうと、もしかしてただの愛国主義と
取られかねないので補足。
最近暇に任せて(ぷーですから...)構造主義の入門書を読み耽っているのですが、
構造主義が流行った時に、この手法が芸術学に何か影響を及ぼしたのかどうか気に
なります。というのは僕が学生の頃に習った芸術学というのは美術史であり
ただ通時的に過去からどのように美術が変遷したかを語る物であって、美術それ
自体の役割や構造についてはなかなか教えてくれなかった(僕もサボってたけど)。
構造主義というのは、世界の各民族の社会制度を、ヨーロッパ的な進歩史観では
ない手法によって解明しようという所から来ているのですが、芸術学にこのような
視点の欠けている事が、西欧アートに対するコンプレックスの原因ではないかと
思う訳です。
現在、美術作品と見なされている物にとらわれず(自由な視点という意味ではあり
ません、「自由」という概念も西欧美術の述語でしか無いからです)、日本社会の
中で余剰の位置を占める同時代の「除夜の鐘」や「ペナント」をも「美術」と
捉え、西欧現代美術との差異を明らかにする事によって初めてこれから創り出す
べき美術の姿が顕わになるんじゃないかと、まー素人ながら思うわけです。
Mickey君が良く言うように、僕らには赤瀬川源平のやりのこした仕事がたくさん
あるわけです。
井上よーこさんゲーム出来たの?
さらに、ちょっと古いですが、シーラカンスとは、東京大学出身者を
中心とした建築設計集団で、大阪の建築で言えば、大阪国際平和センター
(ピース大阪)などの設計で有名です。
そういえば、ピース大阪の戦争写真展示は、小林よしのりの「戦争論」でも捏造が
あったとして取り上げられてました。(ここでは全然関係ないですが)
ということなんですが、僕がいこうとしていたのは、シーラカンスが設計した
マンションに住んでいるIMIの建築コースに在籍している子の部屋であって
シーラカンスと行ったわけでわありません。
ちなみに、しんどくて行かなかったんですが。
ちょっと誤解を招く書き方をしちゃいました、すみません。
ちょっと古いネタですけど、
シンポジウム=共に飲むってすばらしい語源ですね。
さすが、シノバーさん。
今、シンポジウムって言えば、すごくかた〜い雰囲気で学会発表みたいに
なっちゃってますが、やっぱり本来は、飲みながら語らうことなんですね。
一昨年、アルスエレクトロニカというオーリトリアのリンツで毎年行われている
メディア・アートの祭典に行ったとき、そのことを痛感しました。
もちろん、メディア・アートの作品も展示するんだけど、シンポジウムの
盛り上がりの方が全然すごいんですね。
連日連夜で。
しかも、その後のレイヴ・パーティーの多いこと、多いこと。
ちなみに、その年の最優秀の賞は、岩井俊雄×坂本竜一や八谷和彦さんが
とってました。
僕らの提唱している文化鍋も、飲み食いしながらのブレーンストーミング
だと思います。僕らの頭の中にある雑居している文化的アイディア(具)を一つの部屋(鍋)
にいれて話す(煮る)こと、それが文化鍋の極意ではないでしょうか。
今度、シノバーにも是非参加させて下さい。
>井上よーこさんおひさしぶり。バリで年の3分の1も過ごしてたなんて!
是非、今度おはなし聞かせて下さい。僕は、大阪にいますので来る時は、
メール下さい。
正月の東山会談は、盛り上がりましたね。
特に、ペナントで(笑)。
結局、若い美術コレクターって言っても、部屋が狭くちゃ
飾るとこないもんね。
絵を飾るには狭いし、違和感あるのはわかってるんだけど、
だからといって、掛け軸ってもの、床の間がなくちゃ合わないし。
それを見事に解決してたのが、ペナントだったなんて!!
ペナントだったら、僕らの貧乏くさい部屋にもばっちり合うし、
どんないびつな空間でも自由自在に展示できちゃう。
そして、各地を制服したという証拠でもあるから、
収集欲にかきたてられる。
しかも、部屋の上に上に飾りたくなる(笑)。
山宮君「思えば日本における美術の現実からの乖離は、美術が山から切り離され、
客観という制度に囚われた結果ではなかろうか?」なんて
いいこと言うねえ。
やっぱり日本において山への畏敬って重要だよね。
東山にて痛感したのでありました。
しかし本当にペナントに気付いたのはイケてるね。三木君が電話でサラッと言った
のがきっかけだったのですが、こんなに話しが膨らむとは思わなかった。
思えば僕らが生まれて始めて「展示」について強く意識し出したのは、小学生の
頃のペナントがきっかけでは無かろうか?
誰に教わるでもなく、なぜか天井近くに貼ってしまう空間意識。原色を多用した
ダイナミックな色彩感覚。そして僕らの小さい部屋にぴったりはまるサイズと形態。
僕の部屋も、抽象画を飾る壁も雰囲気も無いけどペナントなら似合います。
そしてそれが多くの場合、登山記念を象徴する事が興味深い。
古来の日本の美術作品の展示空間は寺社であり、それは山岳信仰と結びついて
野にあって山を顕すものでした。思えば日本における美術の現実からの乖離は、
美術が山から切り離され、客観という制度に囚われた結果ではなかろうか?(大袈裟?)
とにかく、この時期に瀕死のペナントに巡り合えた事に、何か因縁めいた物を
感じずにはいられないわけです。書生君。ペナント図鑑のURL教えて。
おめでとうございます。
何がめでたいって、”人”がめでたいね。
お正月は画廊も美術館もお休みですが、”正月こそアート”でしょう!
と山宮氏と確かめ合う。
美術関係者はお正月だけ日常に戻るのでしょうか、
でも円山公園はとってもアートしてました。
早朝、山宮氏、三木氏と別れ、一度昼寝した後、新京極でペナントゲット。
カラーペナントというやつです。
350円。ちゃんと布地のしっかりしたやつでしたよ。金の箔押し付。安い!
いくつかの土産もの屋を回りましたが、やはりもうあまり売っていませんでした。
やっとある一つの店で見つけた1種類がこれ。その店では残り2枚でしたよ。
きっともう言っている間に日本からなくなってしまうんじゃないかな。
─ペナントに関する覚え書き─
ペナントの法則。ペナントは最も天井(山頂?)に近いピクチュアである。
ペナント上の出来事。ペナントはファインな土産。
シェイプドカンバス。隙間。デッドゾーン。
ああ、何と有意義な正月だったんだろう。山宮氏、三木氏に感謝。
今年も楽しみだ。
皆様。あけましておめでとうございます。今年の正月は、書生氏とMickey氏という
ムサいメンバーで迎えてしまいました。八坂神社の上の書生部屋に押しかけたわけです。
しかしさすが京都!正月の本場です。
知恩院のダイナミックな除夜の鐘!円山公園の夜店!琵琶法師!ブルース!伝道師!
外人の酔っ払い!弁天さん!おぼろ月!日本の正月サイコー!!
僕は割とダルがりな方なので、初詣なんてやってられるかーいと思っていたのが、
もったいなかった。今年の大晦日はぜひ円山公園でパフォーマンスをやろうと
妄想中。あと、今年は女子高生考案アートグッズやペナント(よくお土産にある
三角形の謎の旗みたいな物)ブームのプロモーション等、てきとーな企画を盛り
だくさんに用意しておりますのでご期待ください。
maedaさんへ、エプソンのプリンターじゃなくてもTシャツが出来るという事です。
ちょっと正月中に試験的に作ってみようと思います。
プーさんへ、是非プーさんも文化鍋にいらしてください。かなり盛り上がると
思います。(夜は駄目なんでしたっけ?)
明けましておめでとうございます。
1999年、うさぎどしです。
とにかくいい年になればいいな〜。